妖怪とな

コロナ禍の前、我が家にはたくさんの海外の学生たちが来てくれた。私が難儀して食事を提供するわけだが、「この魚は大丈夫ですか? どこで獲れたものですか?」と聞く人が常にいた。それほどに彼らは被爆を恐れていたのだ。香港やタイ、ヨーロッパの人々の心配が、直接どういうものだか理解したものよ。

3.11の日、たまたま我家にいたフィンランド人の学生は、フィンランド政府から送られてくる被ばく情報と、日本のニュースを見比べながら、「日本政府は信用できない。もう日本には来ない」と言って帰っていった。実家は病院で、親は医学部教授だと言う。あの時、外人さんはみな九州まで逃げていったでしょ。

大使館とか、領事館もな。知っているでしょ。同じことは水俣病として、世界用語になっている。信用を無くすとは、こういうことなんだよ。笑いもの、というよりは蔑視か。それを妖怪「風評」と言うんだから、これが日本のやり方かと、さらにあの戦争のアホらしさを思うじゃないか。竹やり、自爆攻撃、一億玉砕。

それは1945.5月のヒトラーの最後の言葉と共通する。すべてが滅んでしまえばよい。パリは燃えているか、は有名だよな。日本にも数々のアホ言葉が残されている。限界状態になると、日本人もドイツ人も同じ転落を体験したのだ。私の元上司は高浜原発の建設課長でした。陸士卒のエリート軍人さんで、戦闘にも参加したんだとか。

それをアメリカ製の英語で書かれた設計書を見ながら建設していく。アホにならなければできなかったことらしい。私にもたくさんの資料が残された。守秘義務。何事もなく過ごしたいからね。でもな、放射能は薄めて廃棄したらいいかというと、そういうものでもないで。だからこの産経記事は間違っている。知らん顔しても世界の良識が許さない。