ブラジルでも風力反対デモがある

「でも」という言い方はよくない。アフリカでも風力反対運動があるから、風力被害に対する危機感は人類共通だ。ヨーロッパやアメリカでの風力反対デモは、これまで紹介してきたとおりだ。それですぐに日本の風力反対とは、何かが違うな、と気が付くだろう。海外の人たちは、何が嫌で反対しているんだろう。なぜ、真剣な怒りを露わにしているんだろうかと思わないか。

それが日本では、御用学者であったり、常連の環境運動家であったり、自然保護団体であったりする。いかにも被害を心配する風を装っての偽装工作だ。参加する人たちも環境運動してます感で、講師の話に拍手喝采だ。中身なんかどうでもよい。被害の否定だろうが、土砂崩れだろうが、大雨が心配だと言ってみたりと、無茶苦茶な論理が溢れかえっている。

要は被害者否定のエセ環境運動会だよ。なぜ日本だけ、危険な風力発電の真実を伝えないのか。被害者を助けようとしないのか。いや、被害者が死んだら大喜びして笑いものにしているのか。それが町全体で、社会で共有する価値観になっているのか。日本人も少しは国際感覚を持ってみないか。MINAMATA(水俣)は国際用語になっている。水銀中毒のことだから、あえて水俣と冠する理由はない、と聞く。

それがなぜ?と思わないか。被害者に対する弾圧だ。あまりにも被害を受けた人間に対する蔑視、差別対策が酷かったのだ。今もそれは続いている。同じやり方が風力被害へと引き継がれたのだ。巧みに偽装された風力反対組織よ。全国に「考える会」が作られて被害者対策が行われた。日本だけ、「Stop wind turbines」(風車を止めろ)の言葉がない。あくまでも「考える」なのだよ。

数々の弾圧の言葉を聞いた。悪魔のささやきよ。機械化されたマニュアルのように被害者を消していく。新聞やテレビ、雑誌は絶対に被害に触れることはない。その代わりに原発と再エネのコマーシャルが溢れかえる。国を挙げてのプロパガンダだ。今、私一人が風力被害を訴えている。汐見文隆医師、窪田泰と続いて、それから被害の本質を問う人はいない。それほどに日本は転落してしまっていた。

陸上では「土砂崩れが心配」と言い、洋上、海岸では「海底の砂が心配だ」と繰り返す。環境運動家たちのアホらしさよ。恥ずかしい、ということを知らないのだ。いや、彼らは知っていてやっているから余計に嫌悪が募る。ブラジルの記事を見て、ワイルドな人と思っていた認識が変わった。被害を受けたら抗議する。当たり前な人間感覚を持った人たちであった。日本人は笑いものよ。

被害者を笑いものにして喜んでいたと思っていたら、いつの間にか、ご自身が下劣な身分を纏っている。本人は気が付かない。それが国際感覚として広まっている。私は違うからね。ちゃんと、風力被害を訴えている。よかったら世界中の人がそうしているように、被害を受けたら抗議しようやないか。被害者を弾圧することは止めよう。「知らなかった」は通用せんで。

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