被害者たちに向けて

オーストラリアの人とはこれまで楽しく過ごしてきた。あの戦争の時、あれほどの激しい虐殺を見ながらも、そのことはさておき、楽しく話せる国民性に私も気が緩む。朝まで酒を飲みながら話したものさ。今回のボールドヒルズ風力発電所の裁判についても、オーストラリア人の意識の高さを羨ましく思っている。

以前、行政裁判所AATの判決、「Pathway to disease」(風力発電は病気になる)は世界中を駆け巡った。しかしそれでも日本の反応はない。逆に、「土砂崩れが~」のスローガンが全国で繰り返される。被害者に対する言葉の暴力、弾圧だ。日本の環境運動なんてこんな程度のアホでしかなかったのだ。

誰か怒って抗議したかい? 誰かを笑いものにして喜んだだけでしょ。それは私かもしれないし、お目当ての被害に苦しむ被害者だったでしょ。風力発電の被害とは、所詮こんなお決まりの弾圧風景に収まっている。仕組まれた被害だ。水俣も福島もな。同じ構造でしょ。被害者は、それは可哀そうさ。

しかし人々はそれを笑いものにすることで市民権を握り締める。相手が少数だから虐めても問題ないし、権力側についていれば負けることはない。水俣も福島も、あれだけの大規模な被害にあいながら、被害者は苦しみを訴えられないし、それが認められることはない。アホにされるだけだよ。

風力被害も今は全国版でしょ。これはもう国民病だ。国家犯罪だよ。ボールドヒルズ風力に対して、果敢に立ち向かう人間の強さよ。日本には一人もこんな例はない。いや、どこかにいたかもしれないがコテンパンに消されてきた。社会が許さなかったのだ。今では私一人だよ。由良町ではそれが面白くてならない。

これは全国でも同じことだろう。伊豆や伊方、各地で被害者が苦しみながら死んだと聞いている。人々は笑っている。強制されたとか、指示されたとかいうのではなく、もともと日本人とはそうしたものだったのだ。外国にも同じ事件はあるけどな。特に珍しい現象ではないと私も思っている。

しかし目の前でそれをやられると、面食らう、ではないか。一瞬でその人の正体が分かるのだからね。ボールドヒルズ風力には日本企業が関わっている。日本では裁判なんかになるはずもなく安全。楽チンなものさ。風力裁判を見れば分かるでしょ。安政の大獄だよ。

それでもな、吉田松陰じゃないが、誰かが新しい扉を開かなくてはならない。戦争になってもだ。かつて汐見先生は「ダイナマイトが使えるんでしょ。風車を爆破しなさい」と私に言った。もしそうしていれば谷口さんらは死なずに済んだのだ。私一人が悪者で過激なテロリストでもよかったのだ。

今の村八分と比べてどちらを取るか。本来なら汐見先生の方が正しかった。いやいや被害者たちも転落してアホさ抜群だったからね。あんな木違い連中のために、なんで私が犠牲にならんとあかんのや。これが本音だろう。それを見透かしている人もいる。社会の崩壊だよ。

どこかに反骨の人がいたら、風力発電に抗議しないか。こんな悪行もないで。悪党どもをやっつけようやないか。

騒々しいボールドヒルズ風力発電所で裁判所が平手打ちの差し止め命令-サウスギップスランドセンチネル-タイムズ (sgst-com-au.translate.goog)

ハゲヒルズの決定は、すべての風力発電所のための可能な打撃 – サウスギプスランドセンチネルタイムズ (sgst.com.au)

風力発電所は、前例のない裁判所の判決で、夜間の騒音を減らすよう命じ|リニューエコノミー (reneweconomy.com.au)