水俣病は終わっていない。風車病もな。

水俣病の裁判は悲惨なことになっている。この記事に書かれたことは初めから分かっていて、別に今回が初めてのことではない。原田正純先生にも同じ題名の本がある。それでも「言ってはならない」とする人がたくさんいる。風土病みたいなものか、と思ったけれど、どうも地域対策の成果が大きい。

以前、映画『MINAMATA』を紹介した。水俣市は拒否したと言う。それでこそ映画のテーマは完成した。日本病だ。社会的な排斥だよ。それはそのまま風力発電の被害に通じるのだ。風力裁判は有名だからね。コテンパンだよ。安政の大獄と変わらない。由良守應はそれを生き抜いて明治維新を駆け抜けた。

公害と言うけれど、社会の破壊だよ。何が悪いのか、さえ分からなくされるのだ。とくに重症の被害者はたまらない。差別と偏見。「ワシらは面白うてならんのや」と私に声高に叫びに来た人たちよ。ついに正体を現したか。ところが周囲の誰一人として、被害者の死を悼むことはない。笑い話でしかないのだ。社会の崩壊よな。

今、ウクライナの虐殺を見ても、日本人は面白くてしょうがないんだろうか。Twitterには、「あれは作り話の演出だ」と投稿がある。陰謀説だ。とすると、日本で進行している社会の破壊は、目的をもって行われていると思うのだ。誰も被害者を助けない。日本だけ、「Stop wind turbines」の言葉がないでしょ。

代わりにあるのが「土砂崩れが~」という偽物たちの雄たけびだ。それが全国の風力地域を覆っている。恐ろしい扇動だと思わないか。策謀。しかし誰も抗議する人がいない。痴呆化されたように。被害があるのに、何で黙っているのか。社会問題やで。自分たちのことなんやで。闇の勢力に負けたらあかんで。