悪魔の旋律、メロディ、響き、あるいは音色

小林先生らと話した時、由良町の測定データを見ながら「倍音、高調波が見られる」と教えられた。名器と言われるバイオリンやピアノには、絶妙な倍音が仕組まれていることが分かっている。昔は拡声器、スピーカーなんかないから、より遠くまで、より正確な音色が響くようにと作られた。安物の練習用楽器とは、音色が違うのだ。

ヨーロッパ人には、ギターでもすぐに分かるらしい。残念ながら私にはその音の違いがあまり分からない。CDのデジタル音と、LPレコードのアナログ音の違いが分かる程度である。CDは低周波の部分をカットしているからね。こぶし、と言うのか、ダイナミックな力のあるメロディ、それが低周波の部分なんだろう。それが、なんと音楽家でも違いが分からない人がいると言う。

メロディだけ弾ければよい、と勘違いしているのだというのだ。目の前で演奏されるのと、録音したのを聴き比べれば分かるのにね。小林先生らは音楽の分かる人である。40年前、香芝高架橋の低周波公害の時、何度も被害原因の低周波を測定しながら、卓越した被害成分のあることに、その意味を求めたらしい。単に人工の低周波が伝播するだけではない。

被害者を苦しめるパターンがあると考えたのだ。汐見文隆医師の考えと一致する。自然の風、松風や浜風、小川のせせらぎと何が違うのか、と。一方、環境省の報告書には「観測された低周波には卓越はない」と書き記す。当然に、倍音もなければ高調波もない。被害成分などさらに論外だ。へニング・ミュラーや、スティーブン・クーパーなどの、海外の研究論文は、まったく無視だ。

なんせ海外には低周波被害に関する知見はない、と宣言しているからね。大したものだよ。だから警察も検察も、低周波に関する法律はないと罵るのだ。添付資料は我家で測定した分析図。そしてクーパーの分析図。そして風車が止まっている時と回っている時の比較である。基本の周波数があって、倍、そして倍、そしてまた~、と続いていく。

それぞれにエネルギーを持った気圧変動、空気振動だ。これが人の感情にまで作用して、より苦しみを与えるのだろう。自然の風は心地よい。雷や地震になると恐怖になる。人工音でも、音楽は人の心を躍らせる。風力発電の低周波は、被害者にとっては耐えられない苦しみになる。たとえ被害感のない人でも、過激なヘンな人になったりする。鬱のようになる人もいる。

癌や脳梗塞、循環器系の病気になる。「Pathway to disease」 オーストラリア裁判所の判決の通りだ。だから世界中で「Stop wind turbines !」と言って抗議しているのだ。日本のエセ運動会のように「土砂崩れが~」なんて言っているバカはいない。日本では、そのウソに対する指摘をする人は誰もいないのだ。

これだけ自然保護だの野生動物だのと言いながら、「土砂災害」の言葉しかない彼らはいったい何者かと不思議に思わないか。伊豆や伊方、由良町でも、かつてのように風力被害を言う人は誰もいない。もし風車病で苦しいなんて言ったらたちまち殺されてしまう。社会主義、全体主義の暗闇に覆われている。ナチズムみたいなものか。私に対する弾圧のすごさよ。

皆さん、それが面白いと言っては笑っている。あの谷口さんらと違ってまだ生きているからね。なんで誰も、あの被害者たちは可哀そうだったね、とか言わないんだろう。「ウソ付くな」とかさ。散々に虐めて死んでも笑って喜んでいた。信じられんよ。今でも「被害のことは言わないようにしましょう」と回覧しているんだろうか。恐ろしい社会よな。悪魔の旋律よ。

それは人々による生贄の儀式でもあった。今は私に対する憎しみで溢れているらしい。あの時、ジャーナリストは「社会が破壊されるんやで」と言っていた。その言葉を知っている人はいるだろうに。