被害者を嫌悪して喜ぶメンタリティ

風力発電の低周波被害は非常に苦しいものだ。しかし本人に被害感覚はないのに、すぐにヘンな人になって過激な言動に驚くことが多々あった。由良町は狭い谷あいの町で僅かな限られた人が住んでいる。由良町全体では6千人。畑地区3百人、中地区百人、門前地区4百人、谷口さんの実家の三尾川地区は2百人程度か。

昔から同じ人が住んでいるから、どうしても濃い人間関係が出来ている。「社会が破壊されるんやで!」ジャーナリストの忠告も今は懐かしい。「人というものがよく分かったよ」と何度も同じ言葉で冷酷非情な虐待を受けた谷口さんも今はない。私はボン育ちというか、世間のことにはほとんど関係しない内気で小心なタイプである。

だから今も一人暮らしを囲っている。我儘なのだ。父親も祖父もそうであった。無理はしたくない。それでもなんだかんだと世間話は聞こえてくる。直接私に話しかけてアホにしてくれる人もたくさん見てきた。話の内容から、私を弾圧するための手先になっていることが分かる。h24年のあの時から、急に変化が見られたものよ。

あれから10年、ヘンな人になって死んだ人、今も鬼瓦の顔になって狂っている人、さぞや生きるのに大変だろうな、と私は思っている。本人は何も分からないらしい。過激な言葉を使うから、工作員らによって心理操作されている。「風力は関係ない」、「オマエ、まだ言うてるんかい」そう言って私を睨みつける。

あるいは被害者を笑いものにして、何が可笑しいのか面白くてならないのだと言う。優越感だろうか。私をバカにして見下していた。もちろん私は、もう何も言うことはない。こんなのを被害者と言うべきか? 世間の人でも気が付いている人はいるだろう。タブー、決して言ってはならない言葉になっている。

だからこそ余計に不気味な空気を振りまいている。「あれはアホよら」何度もそんな話を聞くことがあった。東伊豆町で、最初の、風力発電の被害を詳細に取りまとめた報告書があった。東大の卒論にもそんなテーマがあって、一時、被害情報として流通していた。今はすっかりかき消されている。

各地のエセ反対運動では、「土砂崩れの心配が薄れたので、ボチボチと住人が返ってきている」と東伊豆町のことを話題にしている。学生さんの卒論なんかメ、じゃないわな。そこに集まる人たちは、もともとは被害の否定が目的だから真剣に「土砂崩れが~」と繰り返す。恐ろしい地域対策だと今さらに感心する。数の力だ。

初めから風力発電の被害者は少数であることは分かっている。重症者は100人に一人か二人。由良町は狭い谷あいの地形があって、それが5、6人にもなった。ただ前記のように被害感覚のない、たぶん被害者?がいる。カウントされることはない。いずれ消えていく。気持ちの悪さは残るけど。

低周波の被害のあることはこれまで十分に書いてきた。それに加えて人々の弾圧の酷さが一層、風力被害を悲惨な公害へと昇華した。水俣病と同じだ。差別して虐待することが必要だったのだ。支配技術だ。福島でも、原発各地ではそうやっている。三尾川地区は、かつて原発計画があった。

由良町に反対する人はいなかったと思う。原因は、たぶん隣接する湯浅町に強力な反対論者がいたからだろうと私は思っている。南隣の日高町でも、過激な反対運動があって、ついに原発は建設されなかった。社会はズタズタに引き裂かれたと聞いている。今、それらの人が、なんで私を蔑視するのかそれが分からない。

カネが欲しいんだろう。福島でもそんな話を聞いてウンザリしたものよ。実際は被害者を弾圧して黙らせているだけなのにさ。原発も風力発電も、貧しい地域に建っている。人の心の貧しさよ。伊豆や伊方はそうでしょ。反対する者、抗議する人には容赦ない迫害が待っている。

ここは本当に日本なのか? 風力発電の被害を通じて、人の心の闇を見てきた。家族でさえ、親子でさえ、被害者を黙らせて目を尖らせる。なぜなんやろう。海外では「Stop wind turbine!」(風力発電を止めろ)と言って抗議しているで。風力発電は危険だと真実を言葉にして訴えている。

なんで日本だけが、風車病に苦しむ被害者を苛め抜いて笑うのか。陰謀。仕組まれた罠を感じないか。カネ儲けのネタになっていることは分かっている。同時に、社会の破壊が隠されている事実に気が付こう。各地のエセ反対運動を、誰がリードしているのか。政治は役には立たない。

あの戦争の時と同じだ。新しい人が、新しい扉を開くしかない。真実を目指そうじゃないか。