そのスローガンを笑え

前ページでは、各地の風力被害者は貶められ、卑しむべき存在であるように、社会活動として展開されたと書いた。あたかも心配そうに集められた「考える会」では、風力被害者は猿回しのサルでしかなかったのだ。被害者は助かりたい一心で、この人たちは助けてくれると思ったからこそ懸命に被害の症状を訴えた。

もともと目的が違うからさ。残酷な現実が展開されるわな。h24年に我家に来たジャーナリストたちは、まともにその光景を見たんだろう。「あの人たちは何者で、何を目的にして集まっているのか、それを知ることが先決でしょ」真顔でそう言っていたものだ。各地で、あまりに酷い弾圧が行われていたことを伝えたのだ。

水俣病でもイタイイタイ病でもそうだったからね。地域の人々を参加させて被害者を迫害、排除したのだ。そして、自分たちが今、どんな状態に置かれているのか、まず知ることでしょう、と言うのだ。しかし由良町で見たように、被害者も、それを取り巻くスパイ、工作員、隣の人までも完全に出来上がっていた。

これほど完璧な地域対策もあるまい。風力の被害地域で脳梗塞に倒れた人に、何人かに会って話したことがある。彼らは一様に「風力は関係ない」と言い張った。私に対する嫌悪、そして風力などではないという恐怖? 言葉にならない蔑視の視線を鋭く私に向けていた。完璧やなぁ、アホに付ける薬はない。

被害感覚があってもなくても、大体は同じ結果になっていた。例外的に私を掴んで泣いた人も初期にはいたけど。風力発電に近い蜜柑畑では、頬に直接、風が当たるように低周波の波圧を感じることがある。そりゃ、40dbもの音圧の差異が繰り返されるのだ。デシベルdbは対数表示だから10000倍のエネルギー変化を意味する。

気のせい、なんかじゃないんだよ。それを「関係ない」と怒鳴り散らす被害者とは何なのか。環境省が「精神疾患のもの」と書き散らす典型がそこにある。環境運動家はそれを見込んでの弾圧だからマニュアル通りの展開になっていた。面白いのだ。重症の被害者になる確率は100人に一人か二人、誰がなるのか分からない。

脳溢血や癌になって死んだ人を含めると、とてもそんな被害確率ではない。しかも谷口さんらのように、風車病で苦しみぬいて、しかも地域対策で虐待、苛め抜かれて死んでいく。それを演出する役場や環境運動家のやることは鬼としか言いようはない。今日の産経記事ではサステナビリティだと言う。お茶の実を、何かに利用するという。

我家にも昔からのお茶の木がたくさんあって、実が蜜柑畑に散らかって、刈り取るのに難儀している。かといって小さい実が゛何かに役に立つなんてことはなかった。薬効についても聞いたことはない。椿の実なら、子供の頃に拾い集めて小遣い銭にしたことがある。60年前のことだから、ハンドクリームや髪油として使っていた。

今のような化学薬品がまだなかったからね。お茶の実は知らないね。イワシの頭だろう。