破壊された人々へ

由良守應が牢屋に入れられたり、和歌山から追放されたり、刑務所で陸奥宗光と過ごしてみたりと、破天荒な人であったことは子供の頃から何度となく聞かされた笑い話だ。祖父母はとても仲が良く、守應のことがとても気に入っていたようだ。私は内気で、とても小心者だったので、少しは男らしくしてほしいと願ったものだろう。

なんせ勉強ができない。孤独癖ではないが人付き合いも下手糞だ。こんな私が大学を出て一般企業でサラリーマンを経験したんだから、周囲の人にはエラク迷惑なことだっただろう。今、63才で一人百姓しながらつくづくと世話になった恩人のことを振り返っている。親のサポートもあった。

昭和4年生まれの親父は、ちょうど戦争に行くか行かないかの瀬戸際だったのだ。激動の時代を生きたと言ってよい。少年飛行兵だった江住有俊刀匠も同じ昭和4年生まれだ。特攻兵となって死ぬつもりだったと言っては、紀元26〇〇年と銘を彫り付けた刀を作り続けていた。神奈川県の厚木飛行場で戦時中工事に携わったという。

私もs.58年から厚木飛行場にいて、米軍のための地下燃料タンクの建設に参加していた。旧日本軍が作ったらしいコンクリートの基礎があちこちにあった。それがまたカチンコチンで非常に硬く突き固められていたのだ。江住刀匠は、わしらが懸命に作ったのだ、と笑っていたものよ。

さて先日の長周新聞の記事だ。本当ならコピーして地域の人に読んでもらいたい。h19年の伊豆のイラストは、由良町で新聞に折り込んでもらって二回配布した。風車病の被害があることを知ってもらいたかったのだ。しかしそれは裏目に出た。被害者の弾圧を極めたのだ。被害者は、声にならない苦しみを涙を流して私に掴みかかってきた。

谷口さんも例外ではない。電話で話して受話器を置く。そしたらまたベルが鳴って電話で苦しさを訴える。言われるとおりに何度も由良町役場に電話して「何とかしてくれ」と訴えた。私もつらかったのだ。人々はその事実を知っている。その上での迫害、弾圧だ。今もこの状態は変わらない。

コピーした記事を見せても顔をしかめて「へっ」と吐き捨てる。私への憎しみが顔を赤らめてまで感情を高ぶらせる。何が人々をこうまで破壊したんだろうか。私がまだ生きているからだろう。谷口さんらが亡くなった時、人々は手を叩いて笑って喜んでいた。議員たちの笑いは何だったんだろう。

環境運動家たちも嬉しさを隠すことなく「嘘つき」と私に叫んでいた。全国各地に作られた自称、風力反対運動も、実は同じ被害者対策であることはこれまでの経緯を見れば明らかだろう。かなり悪質だ。Youtube動画にたくさんアップしていたから覚えているだろう。被害を否定する御用学者や環境運動家のスピーチには吐き気がした。

低周波被害者の会の窪田泰さんもそう言っては私に怒りを言葉にしていたものよ。「ぶん殴ってやりたいよ」と。彼らに電話して風力発電の被害を話したら、どこでも拒否されていた。土砂災害だ、とか、市民風力に被害はない、だとか。社会主義国でもあるまいに。これはすべて税金でやられていることなのだ。

風力発電の闇はまだまだ先が見えない。私に対する憎しみだけがむき出しになる。だから人々は何でも知っているのだ。私は畑地区を差別地域みたいなものだと書いたが、私の住む門前地区でもそれは同じで、地域の人々はすっかり破壊されていた。人々は何を根拠に、手掛かりにして生活しているんだろうか。

役場の言うとおり、誰かに言われるままに、由良の奴は本当に悪い、と合言葉にしているんだろう。「社会が破壊されるんやで」ジャーナリストは最初にそう伝えてきたものよ。つまりいいようにダシにされて吐き捨てられていたのだ。言っとくが、私は違うからね。今も由良町の風車21基は勢いよく回っている。

その真下に住む人に分からないはずはなく、親父の言うとおりに放っといたらええんや、となっている。彼らは私を風力裁判にかけてエラク喜びの絶頂にある。