答えは初めからある。

最近、何人かの人が我が家を訪ねてくれた。温州みかん、米、ドライブがてら、twitterや私のページを見て由良町まで会いに来てくれたようだ。以前は谷口さん宅まで案内してくれ、という依頼がずいぶんあった。その人たちは今、どうしているんだろうね。まったく音沙汰はない。

少しは風力被害を聞いて、関心を持っているのかと思っていたけれど、それぞれの生活に関係がなければ忘れてしまうものらしい。それよりもグレタさんのニュースの方が面白いからね。「土砂崩れじゃないんだよ」と私が言う。しかし彼らは目に見える風車が山の上にあるんだから、そう言った方が分かりやすいでしょ、と言っている。

私や谷口さんの言葉は完全に無視されている。どこかで変換されたんだろうか。風車=土砂災害、だと。では谷口さんは土砂災害を心配して頭痛や目まいに苦しめられて死んだのか? そう言っても通じることはない。これまで何人もの人に話してきたから、あぁ、またか、と話す気力が萎える。

英語やドイツ語で、「protest wind farm」、「Kein windpark」と検索すると、たくさんの反対運動や抗議デモがある。すべて事実だ。そしてそれらの抗議運動を否定する風力業者や政治団体の記事まであふれている。正反対の記事が、「風力発電反対」と検索しているのに、ごちゃ混ぜにされている。

どちらが正しいのかは、被害者の抗議運動を見れば分かるだろう。加害者の証言なんて、そんなもの、よくも恥ずかしげもなく、とあきれ果てるのだ。例えば参加者をバスに載せて、カーテンを閉めたままで風力発電地域をドライブする。「風力発電のあることが分かりましたか?」と問う。

運転中のバスの中では、人ごみの中では、卓越した低周波成分も分からない。被害を否定するやり方はずいぶん巧妙で、悪意に満ちている。日本では、被害を訴えるものは精神疾患のもの、と明確に書きつけている。誰もそのことに抗議する人はいない。低周波被害に苦しむようになると頭をやられるからね。

被害者をからかって弾圧すると、真剣な反応を見せる。それが人々には面白いのだ。その人が死ぬと、人々は手を叩いて笑うようになっていた。由良町の出来事だ。ニュースを遡ると、h18年、伊豆や伊方、愛知県などに最初の風力被害が露見した時、すでにドイツなどでは被害のあることは周知の事実であった。

それでも全国展開したんだから大したものだよ。『風力発電の被害』には、各地で何が行われたのかを書いた。それでも風力発電の被害者たちは今も弾圧されて否定され続けている。もう隠しようもない事実なのに、それが分からなくなっている。被害者はかわいそうだ、なんて気持ちはどこにもない。

各地のエセ反対運動では「土砂崩れが~」と言って笑っている。何が本当の被害なのか、分かっていてやっているんだから、とても正常な人だとは思えない。ヨーロッパ人から見れば驚くべき国民性に見えるだろう。私だってそう見ている。人でなし。人としての常識を取り戻そうじゃないか。事実は何か。

測定データは既にある。被害のメカニズムも分かっている。「みんなと一緒」、なんて幼稚園児みたいな洗脳から目を覚まそうぜぃ。