支援者からの依頼で原発関連の雑誌に投稿した。再エネを礼賛していたからだろう
が、案の定、没になったようだ。完全無視だった。それ用に表現を変えているので、
いつもとは違った表現にしてある。
『現代農業』とかには何度か記載されたことがあ
る。しかし他の雑誌からはケンモホロロに拒否されてきた。電磁波被害は記載されて
も低周波被害は認められない、とかね。各紙の趣旨がよく分かったものさ。
以下、没になった記事を記載する。
原発と再エネは、コインの裏表
由良 守生
私の元上司は陸士卒の関東軍将校でした。某原発建設課長をして退職後、建設会社で私の上司となりました。原子力ハンドブック等、いろんな関連資料をいただきました。
「勝って負ける戦もあれば、負けて勝つ戦もある」アメリカ製の原発を作る中で、沸々と、軍人としての記憶が蘇ったようでした。
私の住む和歌山にも、かつて三か所、原発建設計画がありました。昭和50年代、それはもう賑やかにやっていました。私は土木科の学生でしたから、「就職ならどこでもできる、すぐにエライサンに成れるんやで」と原発建設に賛成するように励まされました。
結局、大手企業には行かずに、地元の建設会社に就職して、たまたま原発関連の上司に出会うことになりました。原発は、和歌山には建設されませんでした。しかしその地域には、地域対策のシコリがあちこちに残りました。社会の破壊、家族でさえ憎しみあったと聞いています。原発地域ならどこでもやっている地域対策、管理です。
私は作る方の立場ですから、技術屋として、地域対策に関わることもなく、他人ごととして見ていました。
たまに福井などに出かけると、そんな地域対策の人がいて、ヤクザとは違う、何をしている人なんだろう、と思うことがあったものです。
それが今回、風力発電の被害に遭遇して、わが身のことになると、原発と同じやな、と過去の記憶を振り返ることになったものです。
私は旧家のボンですから簡単に村八分にされました。町会議員選挙では総スカンでした。あちこちで「出ていけっ」などと叫ばれたものです。
原発のことは技術屋として多少の知識があります。そして風力発電のことも、実は少しだけ関係していたので、不都合な事実も垣間見ています。私はこれまでホームページで「風力発電の被害」を訴えてきました。それらは不都合なことどころか、人道に反する、決して許せないものばかりでした。舞台裏を知っているだけに、「なんでや!」と怒ってみても、それは国相手の巨大な組織でした。
今、全国にはたくさんの風力発電が建設されています。それぞれの地域には、深刻な被害があると聞いています。
由良町の風力発電の稼働は、
2011.9/30日、2000kw×5基 (h23)
2008.11/11日、1000kw×16基 (h20)
由良町は東西に細長い4kmほどの谷あいの集落です。北側の山々の尾根に21基の風車が林立しています。
写真-1 中地区の2000kw、5基
風車と民家との距離は700m~1000mほどです。当初の被害はすごかったらしく、被害の様子を聞きに行くと、皆さん真剣にどれだけ大変なことになっているか、泣きながら話してくれる人がいました。
この時、私は町会議員でしたので役場に連絡したり、議員たちに、「どうしよう?」と話しかけました。h23年12月議会から、連続29回も、年4回の定例議会で風力発電の被害を訴え続けました。
私は最初は何が起こっているのかも、正直言って分かりませんでした。しばらくして、私も低周波病症候群、風車病に苦しむようになっていました。
不思議なことが次々に起こりました。役場の人たち、議員たち、地域の人たちが、言葉遣いまで変わっていったのです。
ジャーナリストたちが我が家を訪ねてくれました。野鳥の会など、たくさんの環境運動家の人が来てくれました。被害を心配してくれる人、あるいは否定して笑う人、日弁連環境チームの弁護士が4人も来てくれたものです。しかし、どうもおかしいな、と私も思い始めていました。
資料-1 風力被害を否定する議会の様子
私はもともと内気で小心なタイプです。人付き合いもあまりないし、積極的に人に話しかけることもありません。わりと限られた人とだけの生活です。それが皆さん同じ言葉を、同じ順序で話すようになっていました。
「低周波はテレビや冷蔵庫からも出る、風力発電とどう区別するのか」
「オーストラリアのような広くて人の住んでいない所なら風力発電はよい。風力発電自体が悪いわけではない」
「ワシらは何でも知っている。オマエのことは信用できん」
他にもたくさんの言葉を聞かされました。人口6千人の田舎町です。皆さん素朴な人ですから語彙も少なく、激しく人を非難することなどありませんでした。我家は廻船問屋、製材業など事業をしてきましたから、私も罵られることなど思いもしないことでした。
h23.11月末に、最初に私に被害の訴えの電話をしてきた谷口愛子さんは、古い知人が11人も、次から次へと訪ねてきて、「由良さんが、アイちゃんが気が狂ったと町中に言いふらしている」と伝えてきたそうです。可笑しなことやね、と話しながらも、しばらく経つうちに「出ていけっ」と叫ぶようになっていました。谷口さんは2016年に亡くなるのですが、その間の出来事を書き記したのが『風力発電の被害』でした。
写真-2 由良町からの報告
あまりの酷さに、これは本にして全国に知らせないといかんな、と思ったのです。今は誰でも携帯電話をもってインターネットにも通じていますが、風力発電が出来る田舎ではまだまだ。新聞さえも読まない人が多くいます。『風力発電の被害』は、由良町では1冊だけ売れました。
私は以前から、「被害に合って苦しんでいる人がいます」という資料を新聞店に折り込みを依頼したり、自分でも配り歩いていました。
資料-2 東伊豆町の市民運動から借りたイラスト
このイラストは、東伊豆町で配布されたものを借用しました。東伊豆町、南伊豆町でも大変な被害があって、転居したり亡くなった方がいたと聞いています。
由良町では、こんなチラシを配ろうとしても、人が私の姿を見ると、サッと逃げるようになっていました。顔色を変えて、激しい嫌悪を見せるのですから、何があったんだろうか、と不思議に思ったものです。
大学生が卒業研究に調査したアンケート調査では、18.9%、5人に一人が被害感覚があると答えています。誰もが被害のあることは知っているのです。
低周波病症候群、風車病のメカニズムは、測定して見れば分かります。昭和50年代、西名阪自動車道、香芝高架橋の低周波被害訴訟が有名です。
低周波被害に詳しい、和歌山市の汐見文隆医師に直接、聞いてみました。「苦しい時、楽な時、その二つのケースを測定して比較しろ。卓越した音圧があればそれが原因だ」というのです。
資料-3 我家で測定した低周波分析図(NA-18A)
この分析図は1/3オクターブ分析ですが、汐見先生の盟友で、香芝高架橋の事件で活躍した小林芳正先生にも測定を依頼しました。
資料-4 高速フーリエ変換FFTによる分析図
これは風車から1.2㎞離れた我が家での分析図です。周波数2Hzの所で音圧30dbもの気圧変動を繰り返しています。対数表示ですから、1000倍のエネルギー変化です。グラフでは単に尖って見えますが、これが上下に激しく振動しているのです。この変動が内耳の器官に作用して風車病になると考えます。youtube動画「morio yura」にアップしているので、変化の様子を見てください。
地震や雷の時の低周波と同じことが風車でも起こります。緊張感、恐怖、不安、感覚的な刺激が24時間、日常的に加えられます。
オーストラリアの裁判AATではPathway to disease(病気になる)と判決されました。前記の谷口さんもガンでした。
測定グラフを見れば、倍音、高調波があります。名器と言われるバイオリンやピアノは、えも言われぬ響きを醸し出すことがあります。絶妙な倍音が組み合わさっていることが知られています。
これと同じことが風力発電の低周波測定図からも見られるのです。倍音は人の感情に影響する。だからこそ被害者は余計に性格が変わっていって、攻撃的な、ヘンな人になって苦しむんだろうと思います。
環境省の平成23年度の報告書には「被害を訴える人は精神疾患のもの」と明記されています。この辺から私の考えが固まっていったと思います。私は違う、と。
ところが東伊豆町や南伊豆町でも、由良町でも被害を訴えることはなくなってしまいます。目の前で、被害に苦しむ人が次々と死んでいるのに、なぜなんだろうと思いました。
海外では、各地で被害に抗議するデモが行われています。「Stop wind turbines」「protest wind farm」「Kein windpark」キーワードを入れると、たくさんの反対運動があります。
資料-4 インターネットで検索した各国の反対運動
他にも調査研究資料がドッサリあります。私のページにアップしているので探してみてください。
しかし環境省の報告書には、海外には被害に関する知見はない。ドイツでは上手くいっている、と書かれています。国の報告書がこうですから驚くしかありません。
この事実を日本の各地にある自称、風力発電反対グループに伝えても、全くダメでした。彼らは産廃の反対運動と同じで、本当に反対したい人を封じ込めるトリックでした。どの地域でも御用学者、環境運動家を招いてのエセ勉強会でした。私たちは土砂崩れが心配なんだ、というのです。当然のように私は排除されていました。風力発電の低周波被害を訴えてもらっては困るわけです。だから日本の風力運動には、「Stop wind turbines!」(風力発電を止めろ)なんて言葉はどこにもないでしょ。被害者を助ける、なんて考えは初めからどこにもなかったのです。
風車病になり苦しむ確率は100人に一人か二人です。それが畑地区では5~6人にもなりました。汐見先生や識者の考えでは、被害感覚はなくとも20~30%の人が何らかの悪影響を受けているだろうと記しています。実際に被害地域を見ていると、急に過激な言葉を発するようになったり、癌で急死したり、ロボットのような人になったりする人を見ています。本人は気が付かないようです。
人は虐待すると人間性を失います。ドイツの収容所で見られたように、北朝鮮の収容所のように、従順に殺されるようになります。もし、その人が怒りの言葉で抗議しようものなら、人々から笑いものにされて消されていました。暴力を振るわれた人もいたと聞いています。
「社会が破壊されるんやで」ジャーナリストたちは東伊豆町などの先進被害地を見て、私にそう伝えました。それらの町役場に電話して聞いてみるがよい。「風力発電の被害はありますか?」、「いいえ、ありません」判で押したような答えが返ってくる。
では被害を訴えて亡くなった人たちは何だったのか。全国ではすでに相当な数になるだろう。それでも、誰も被害を訴えない。「風力発電の被害とは土砂災害だ」と言っている。とくに反原発だと言っていた人たちグループが、そんな役割を担っている。環境省と同じ言葉を繰り返しているからだ。この地球の環境をそのまま子や孫に伝えたいのだと。
これは暴行傷害、殺人事件やな、と思っている。風力裁判もある。警察も検察官も裁判官も、弁護士も皆さんグルだ。下関市の風力裁判では反対した漁師に罰金1500万円、懲役刑(執行猶予)を言い渡している。支払いに難儀しているようだ。私もね。
私の先祖に安政の大獄でやられた人がいて、和歌山から追放されたことがある。長州では吉田松陰らが斬首された。まるで封建社会、徳川時代のままよな。由良町の人々は大喜びしている。これが風力発電の被害なのだ。
言っとくが、由良町に風力発電を稼働させるだけの風は吹かない。天気予報にある風速の通りだ。毎日風速1~2m/秒、夏場は全く風がない。穏やかな天気なのだ。風車は回らなくとも自由振動で有害な低周波が伝播する。それがまた辛い。