忠臣蔵が分からない人たち

まさかな、と思いながらも、巷の人々の話を思い出すと、「かたき討ち」、「仇討ち」の意味というより、そんな言葉さえ実感できないようになっていた。76年前、由良町にはグラマン戦闘機がやって来て、戦艦を二隻撃沈したらしい。1.5㎞ほど離れた我が家の田んぼで、祖母は頭の上を飛んでいく爆音に震え上がったという。

それから血まみれになった兵隊の死骸を近所の興国寺の広場に積み上げた。今、そこには小さな平和の塔と書いた石碑が祭ってある。遺骸はあちこちの火葬場で焼いたらしい。近所の火葬場の竹やぶには、白いドッチボールのようなドクロがいくつも転がっていたものよ。たぶん兵隊さんのものだろうと言われている。

この記事が気になったのは、やはり由良町で風力発電の被害に合って死んでいった人たちに対して、なんで誰もが恨み言の一つも言えずに、むしろ笑いものにして喜んでいるのか、という現実だ。「アメリカに負けてよかったんだ、おかげで日本もこんなに豊かになった」「原爆も必要なことだった」とかいう話も聞かされた。

奴隷の言葉よな。水俣病でも福井原発でも、被害者はなんで怒らないんだろう。以前はよく「償ってもらわなくてはならない」なんて言葉を聞いたけれど、どうも的を外れている。魔界のように近づけない。『MINAMATA』という映画がアメリカで作られるはずだよ。日本人にはとうに分からなくなっていたのだ。

由良町では、被害者の家族でさえ「関係ない」と言っている。被害を訴える私に対する嫌悪、せせら笑いだけがある。自称被害者でさえそうなんだから、転落したらもうお終いになるらしい。恐ろしいのは、各地の被害地でも同じ対策が行われていた。そして今も風力建設計画地でも、「土砂崩れが心配です」とか、「内耳の器官に障害を持った人の特殊な症状です」と言っている。

平成23年の環境省の報告書にある「被害を訴えるものは精神疾患のもの」という記述と同じ線上にある。あの日、泣いて私に掴みかかってきた被害者がいた。「たのむ、助けてくれ」と。しかし弾圧を受けたんだろう。しばらくして「関係ない」と私に吐き捨てた。狂ってるなぁ、と思ったものよ。数年生き続けていたが、もう話をすることもなく死んでいった。

吐き気がする奴だったよ。被害者はみなそうなるようだ。人間性、尊厳を奪われるのだ。カネではない。そしてここに書かれているようなGHQの目論見でもないだろう。「これは戦争だ」という記事が最近出始めている。それにしても酷い有様だ。風力発電を撤去しよう。これは静かな戦争のシンボルだ。社会が破壊されるのだ。