再エネという破壊思想

Twitter見ていて、すごいな、と思ったので紹介する。由良町で風力発電の低周波被害に合いながら、人々の転落の様子を書いてきた。社会が破壊されるんやな、との思いはますます大きくなっていく。この展開図を見ると、まるでお寺の曼陀羅やなとビックリするのだ。妄想、というより、よくもこんなバカげた設計図を書き上げたものよ、と思わないか。

あちこちに風力発電だ、と絵にして書いてある。すべて税金だよ。言っとくが風力発電を稼働させるだけの風は日本には吹いていない。天気図に記録されている風速があるだろう。それが正解だ。風車の所だけ風が吹いているのか? そんなことあるはずがないわな。長崎のハウステンボスみたいに、風もないのに風車が回っている。

電気仕掛けで回しているだけだ。演出だよ。詐欺事業ともいう。全国の風力発電で、どれだけ発電して、どれだけの効果があったかなんて誰も知らないだろう。企業秘密だというんだから笑えるじゃないか。関電や東電は知っている。「被害を訴えるものは精神疾患だ」とh23年度の環境省の報告書に明記している。

仮に、精神疾患だとして、それらの人を虐待して笑いものにしてよいのか。死んだら手を叩いて喜ぶのか。弾圧した人を表彰して勲章を授けるのか。社会の崩壊を目の当たりにする。図面の製作にはコンサルが入り、行政が検討を加えているだろう。まさにナチズムよ。全体主義で地域を支配する。

そこには地域の歴史も文化も伝統もなく、かつてのニュータウンのようにその時だけの名前が付けられる。サステナブル丘とかさ。風車病に苦しむ被害者も安く見られたものよ。今では誰も低周波被害を言うものはない。海外ではあれほどの抗議運動が起きているというのに、日本では、「海外に知見はありません」と報告書に明記する。

それを日本人は誰も疑わない。私はそれが不思議でしょうがないのだ。「風力発電は精神を破壊する」と何度も書いた。これが日本人の本質なんだ、と今では思い始めている。もう一つの記事には、拉致被害者を貶めて喜ぶ記事だ。政治家の暴言だけでなく、巷の人々も、とうに狂い始めている。和歌山にも、あの時、行方不明になった人たちがたくさんいるからさ。

無念な思いで亡くなっていった親御さんたちを見ている。あの時、煙樹ガ浜にはたくさんのプラカードが林立していて、「不審な人がいたら連絡して」と危機感を伝えていたやないか。北朝鮮から自称、難民が流れ着いていたやないか。和歌山はそれほど簡単にプロパガンダされるのだ。たぶん各地でも同じことだろう。これは武力闘争のない戦争なのだ。

日本の社会を内部から崩壊させて力を削いでいく。人々はその過程が面白くてならないように呪いをかけられている。谷口さんが亡くなった時、何人もの人が私に喜びの言葉を伝えに来た。彼らは言葉にして表現せずにはいられないほど高揚していたのだ。クスリじゃない。

どうやったらこんなにも権力に阿り、転落するのかと驚いたよ。もう手遅れなんだろうか。時代の流れは止まらないのか。各地では、せっせと巨大な風力発電を建設して喜んでいる。「考える会」など自称、反対運動とセットになって進行するから誰も声を上げられなくされている。

被害者でさえ、「私たちは風力発電には反対ではありません」と言うようになっている。この図を見て、何が悪いのか、いや、もしそう思う人がいるなら考え直してみようじゃないか。世の中には、これはイカンな、ということがあるだろう。