興味本位に読んでみた。

私も東京でサラリーマンして、そしてŪターンして百姓してるから、なんとなくその有様が分かるのだ。人種的には特殊な例かもしれない。君子危うきに近寄らず、というからだ。ところが産経に、もう一つの抗議する人の記事があった。どちらも女だ。全然関係ないと思いながら、COPなどという世界戦略の中で、様々な場面で決断する人の姿がある。

イプセンの『民衆の敵』だ。私のやってきたことは、結局彼女たちと共通する。何も抵抗できずに奴隷になるのか、人としての尊厳を主張するのか、人間とは何か? 自分のことに目覚めるのだ。最初から、私も自分探しに翻弄されていた。ずいぶんと成長させてもらったものよ。さて、この本では愛媛県のメガソーラーのことから話が始まる。

被害がどうのということではなく、ご自分は東京にいて、環境運動したいらしいのだ。愛媛には風力発電の被害があちこちにあって、全国的にも知られている。伊方町なんかは週刊誌の記事になって悲惨な記録を伝えてきた。たぶんこの著者も知っているだろう。しかし風力被害には触れない。メガソーラーの被害にも踏み込まない。

実家のある周辺の人々から村八分になって泣きべそ書いた、という話だ。笑えるじゃないか。私と同じようなものか。もう一つの記事はアマゾンの熱帯林の中で原住民が虐殺されている話だ。アメリカUSA やカナダ、アフリカ諸国、世界中どこでもある話しだ。そのことに抗議する人は珍しい。笑いものにされて消されるのがオチだろう。私と同じようなものか。

ただし、これはおかしい、と判断したら、こんな本になるほど、社会の価値観は揺らいでいる。何が必要なのか、それを決めるのは私だ、と決断する。暖簾に腕押し、糠に釘、と人は言う。それでも抗議の声を上げる人がいるんだから、大したものよ。風力発電の低周波で耳鳴りがして耳が痛い。耳垢が溜まる。辛んどくてたまらない。

由良町の風力発電を撤去してくれ。たくさんの被害者が苦しみながら死んでいった。