COP26が面白い

グラスゴーのCOP26は喜劇になっている。日本で、あれほど「ドイツに習え」「ドイツは上手くいっている」と吹聴していたものが、実はこの1面記事にあるように、全然トリックだったのだ。それは以前からドイツ紙のシュピーゲル紙やDie Welt誌に記事として記載され世界に拡散していた。私が度々「Kein Windpark」(風力発電はいらない)と検索して紹介してきたとおりだ。

世界中でそんなことは常識的に分かっていた。それが産経新聞の1面記事に「アンチ資本主義「アンチ経済成長」として記載される。メルケルは東ドイツだからね。それがどういう意味を持つか、日本人にも分かるはずだと私は思っていた。思っていた以上に日本人はアホだったのだ。グレタさんの記事が小さく載っている。今も彼女はグラスゴーでデモしているんだろうか。

学校は行っていないんだろうか。プラカードにはスウェーデン語と英語で単純な呼びかけが書き連ねている。すでにスローガンの中身は見えない。少なくともここに紹介した記事に沿うものではない。エラク食い違ったものになっている。各国首脳は、さぞや苦笑していることだろう。日本は、相変わらず技術革新だという。アンモニア火力は石炭火力ではない、とかさ。

笑えるじゃないか。アンモニアはメタンから作る。石炭からも作れるだろう。しかしそんなマダルッコシイことしないで、原料のまま焚いた方が簡単で安上がりなのは言うまでもない。排ガス処理にカネをかけた方が良いだろう。ドイツでは住民らの反対で苦境にあると書く。日本では被害者を弾圧して消し去ってきた。その凄まじいことは『風力発電の被害』に書いたとおりだ。

事実はここにある。では日本の各地にあるエセ風力反対運動は、いったい何だったんだろう。「我々は土砂崩れが心配なんだ」とか、「風力被害とは土砂災害だ」洪水が心配だ、なんて言ってさ、風車病に苦しむ被害者を否定して喜んでいた。恐ろしい市民運動よ。風力事業とセットになった地域対策なのは分かっていた。最初からジャーナリストたちは「彼らは何者で、いったい何を目的にしているのか、それが先決でしょ」と言っていた。

それを見透かしていた人は他にもいただろう。たとえ行政が、政治が、市民運動が、こんなアホな地域対策したとしても、日本人には良識、良心というものががあるだろうと私は安易に考えていた。残念ながらそんなものはどこにもなかったのだ。伊豆や伊方にも、由良町にもな。由良守應という陸奥宗光外相と暮らした先祖がいた。現在とは違い、誰も情報を教えてくれることのない時代に、彼らは明治維新を駆け抜けた。

田舎者なのに国際人として活躍した。今の状況と比べてこの落差は何だろう。危機感、善悪、正邪、そんな当たり前な感覚が彼らの本質であったと思いたい。由良町役場の酷さよ。風力発電を撤去してくれ。低周波で目まいがして苦しくてならないのだ。たくさんの被害者が苦しさを訴えて助けを求めたではないか。

なんで笑いものにして弾圧して殺したのか。2018.1/20、1/22日のページには、谷口さんの抗議の声を録音している。役場職員、事業者、新聞記者、被害住民ら30名程の前で、みんな知っていたのにだ。ここまで落ちているのだよ。