風車被害の隠ぺい

もう10年も前のことだから、こんな記事を見せたって、あ~そんなこともあったかな、と言うくらいの地域対策の一コマよ。私は完全拒否されていたから、こんな会合やアンケートのあることも、人々がどんな魔法をかけられていたのかも全く、と言っていいほど知らなかった。もともと小心者で内気なタイプだからね。一度叫ばれたら、二度と口もきけなくなるさ。

最初に被害を訴えに来た谷口さんでさえ、すぐに私を裏切って、地域で何が起こっているのかさえ黙りこくるようになっていた。私の悪口だけは、次々と話に来る人がいたという。それが古くからの友人や親類の人だというんだから、私も返す言葉はなかったよ。その内の何人かは私も知っているけれど、ではその人が何で私の悪口を、さも心配して谷口さん宅まで行って吹聴するのかそれが不思議なことだった。

逆に、谷口さんの悪口を私に伝えに来る人もいたからややこしい。「由良さん、あんた騙されているんやで。あの人は高校も行ってないんやで」と。私の住む門前地区でもそれは同じで、私に対する誹謗中傷は、それはもう感動と言うほかなかったものよ。カネを払っても、そんな光景は見られんわな。この地域が、いかに差別意識に凝り固まっていて、生贄の血を求めていたか、と言うことだ。

おかげで私は我家の家系、歴史に誇りを持つことになった。家柄に縋り付いていただけだけど。彼らとの差異を確認した。さて、この記事を見てヘンだと思わないか。低周波被害、風車病に苦しんでいるというのに「騒音」と書く。新聞記者には、風力発電の低周波被害のことは既に分かっているのだ。添付の週刊誌の記事は、その時には全国に伝わっていた。

それなのに煩ければ二重サッシにしたらよい、と結論している。その後、一週間ほどして忘れたころ、訂正記事を載せている。一般の人には何のことやらわからない。じつは後日、この勉強会に参加した人に聞いた時、「何を言っているのかまるで分らなかった」と言っていた。呼ばれたから参加したということだった。重症の被害者はすぐに死んでいく。

頭をやられ、散々な洗脳を受けているから、私を見る目付きの厳しいことよ。それだけで私はもう怯んでいた。ケンカしながらも、最後の日まで話をしたのは谷口さんだけか。亡くなってからもたくさんの弾圧を受けていた。「ワシらは面白うてならんのや」と、何度その言葉を聞かされたことか。これが「風力発電の被害」なのだ。

2015年のアンケートの抜粋にあるように、今もたくさんの被害者がいることは分かっている。私はもう彼らと話すことは何もない。地獄に堕ちろ、と思っている。それが彼らの運命なのだ。由良町の人はこの被害の顛末を誰もが知っている。なんでこんなことになったのかも敏感に感じ取っている。それでも私を拒否して、「関係ない」と言っている。勝ち誇っているのだ。いったい何がおかしいんだろう。

皆さん笑みを浮かべて喜んでいる。「国のやることに逆らって勝てるはずがないだろう」と言うのだ。そうかな?テレビや新聞では、今も再エネを100%にすると政治家やコメンテーターは言っている。被害者のことなんかまるでどこにもない。ホロコーストみたいなものよ。「私たちは知らなかったんです」と。いいや、あなた方は知っていた。