日本人はなぜ、風力発電の被害に抗議しないのか。

h23年の12月に、風力発電の低周波被害を訴えてから、もう10年の時間が過ぎた。由良町の被害者たちはとうに死んでしまった。ご自分が風力被害者だと気付かずに亡くなった人もいた。たぶん今も、たくさんの被害者がいて苦しんでいるはずなのに、誰も風力被害の苦しさを訴えるものはいない。

それはたぶん、全国的にも同じ状態にされていることだろう。風力発電の低周波被害を訴えているのは私だけだから、非難轟々の嵐は止むことはない。何が被害の原因なのか、汐見文隆医師指導の下に、低周波測定を行って、卓越した被害成分のあることを確認しているからさ。低周波分析図に表してみると、倍音、高調波のあることが分かる。

風力発電の独特の波形が観測されるのだ。環境省や、その手先となった環境運動家たち、自然保護団体などは頑なに低周波被害を否定している。たまに、心配そうに被害者に声をかける人もいるけれど、それは嘘で、会話のためのテクニックでしかない。どれだけの裏切り、いや、その人にとっては目的があって被害者に話しかけるのだから筋道の通った話だと考えているんだろうが、「土砂崩れが心配だ」という結論になると、もう低周波被害、風車病を否定していることは明らかになっている。

被害者の否定、弾圧なのだ。私との会話でも、最後には憎々しげに吐き捨てる人、笑いものにして喜んでいる人がいたものよ。何のために? 風力発電推進のための被害者つぶしだ。初めのころは汐見先生や窪田泰さんがいた。我家にも来てくれて、風力反対の人を交えて協議を持った。懐かしい日々よ。「風力発電反対」と検索すると各地の風力反対運動がアップされている。

しかしどれもこれも、なんだコリャ、という驚きの展開になっているのだ。産廃の反対運動と同じで、建設するために、反対運動する人を閉じ込めて消し去るのだ。福島の原発事故でもそうだったらしい。あれだけの惨事を見せながら、誰も反対や抗議をしないでしょ。議員さんもいるだろうに、誰一人として抗議するものはいない。環境運動家という汚い、反原発運動の正体を見たではないか。測定さえもしてはいけないらしい。

水俣病の時も、そうだったでしょ。因果関係は無い、とかさ。新聞やテレビで、風力発電の被害がニュースになることはない。コマーシャルはたくさん溢れているのに、メディアに倫理観などはなかった。h24年にはたくさんの取材を受けているから、彼らは知っているはずなのだ。すぐに彼らは私を嫌悪するようになっていたけど。インターネットは、どうも日本人にはなじまないらしい。英語が分からないからね。

ましてドイツ語やフランス語が分かるはずもない。今では翻訳機能が付いているのに、それでも関心が湧かないのだ。島国根性の視野狭窄よな。お上に言われたことだけ、神のお告げのように信じて隷従しているのだ。私は特殊な日本人なんだろうか。先祖の由良守應は、誰もが思いもよらぬ突拍子な人であったと聞く。あの岩倉具視の欧米視察に同行した人は、みな、そうした傾向があるわな。それと同じことが今、目の前で起こっている。

和歌山はまだ徳川の封建時代にあるのだ、と京都大学の教授たちは視察に来てそう言った。その意味がやっと私にも分かってきた。これだけ世界の情報が溢れているのに、人々の意識は江戸時代とそう変わらない。安政の大獄で、守應は和歌山から追放されたけれど、同じことが今、私に起こっている。吉田松陰や橋本佐内のように首を切られて殺されずによかったよ。明治元年、紀州藩主の茂承(もちつぐ)は守應を供にして参内したという。笑える話よ。

前ページには「正義はなくて限界がある」と書いた。いずれ不合理な再エネ政策は終わりになる。地球温暖化に資する、なんて言葉は死語になる。その時残るのは、なんで人々は被害に苦しむ人を虐待して消し去って喜んでいたのか、という珍事だ。倫理の喪失だ。歴史上、何度となく繰り返されているのに、人は、アホなことばかり繰り返している。私の「守生」という名は、守應にちなんでつけられた。

南朝方で戦ってきた歴史が染みついているようだ。海外の情報を見てみよう。ご自分であれこれと探すんやで。海外に知り合いがいれば、勇気を出して聞いてみたらよい。日本人が、いかに騙されているかよく分かるで。