強制労働が問題なのか?

最近の、いくつかのウイグル問題の本を見ると、「強制労働」をテーマにしているとはとても思えない。チベットの虐殺、内モンゴルの文化破壊、アメリカ人がやったインディアンの虐殺と変わらない。原住民に人権などないから、でも今の時代にそれはマズいでしょ、というのが私たちの理解ではなかったか。

この記事はかなり悪いな、と思うのだ。太陽パネルは世界の半分以上の生産でしょ。iphoneは中国製でしょ。ドイツ車も中国でしょ。経済を書いているようで、なんだこりゃ、と思いませんか。企業のアンケート調査でも、無回答、予定なし、これがほとんどだという。たぶん世界の動向もこんなものだろう。

建前と本音はどこにでもある。先日紹介した『重要証人』の人がこの記事を見たら卒倒するだろう。何も聞いてはくれなかったんですね、と。じつは同じ体験を、私も何度か経験している。風力発電の低周波被害を訴えて、各地の風力反対の人たちと話し合ってきた。

で、その人たちが何を言っているかと思ったら、「私たちは土砂災害が心配だ。だから風力建設には反対したい」と言っているのだ。風力発電に反対しているんだから同じでしょう、と全く疑問すらないのだ。その近くには風車病に苦しむ人がたくさんいることは知られている。それでも彼らは「土砂災害が風力発電の被害だ」と断言するのだ。

では隣近所の風力被害者は何なのか。被害を否定されてんだよ。それも大勢、寄ってたかって、被害者をあざ笑う。それが各地の自称・風力発電を考える会だったのだ。ヘンな御用学者を奉って絶賛しているからね。よっぽど風力事業と相性が良かったんだろう。環境運動だからさ。行政から褒められてうれしそうなことよ。

風車病を否定することは、それほど見返りがあるということだ。少し前のページに汐見先生の説明動画があるが、そんなの笑い話にもならないだろう。彼らにとってはリスクですらない。だから『重要証人』を読んでみて、何度も同じ民族の人に裏切られながら、命からがらに逃げて生き延びた人の文が身に浸みた。

ご苦労さん。運が良かったんだね、と。殺されて臓器を抜き取られた人はどうなったんだろう。そんな話はこの記事にはどこにもない。強制労働なら日本にもいくらでもあるではないか。海外から集めた技能実習生、とかさ。たくさんの外国人が行方不明になっているんでしょ。

それと同等に扱っている、いやむしろそんな記憶にかぶせてこんな記事にしている情報操作、コントロールの怖さよな。ところが日本には、言葉のすり替えに気が付く人も、被害者の弾圧に抗議する人もいない。この倫理観喪失の理由は何だろうか。被害を訴えたら、その社会から追放される。そしたら困るでしょ。

そんな言い訳が脳裏をかすめる。そんなものに関わっていたら腹が立つだけだ。時間の無駄でしょ、と私の良心が言う。現在、あの汐見先生の説明を、根拠を訴えるのは私一人になっている。もう少し頑張ってみるつもりだ。