激動する世界に~、というウソ

ふと、この記事を見たら、テクノロジーが進歩して、これから大変な世界が現れるんだ、という驚きの言葉に満ちている。いや待てよ、どこかで同じ記事を何度も見ているな、という記憶がよみがえる。

40年前、新入社員教育で、それよりも100年前のロンドンのビジネス記事を見せて、「これはいつの新聞記事か分かりますか?」という話だった。それがこんな産業革命、文明の進歩に驚く、まったく同じ内容だった。そりゃ、当時と今では生活のレベルが違う。

それでも新しい文明の利器を見て、感動する人間のサガは何も変わらない。ミステリー小説『豚は太るか死ぬしかない』では、日本人のこんな側面をからかって「激動する世界における・・・」と何度も皮肉っている。与えられた情報に簡単に載せられていく単純バカに笑いを重ねていく。

30年前の小説だから、アメリカ人から見て、よっぽど日本人の単純さがおかしかったんだろう。マッカーサーと同じでまるで12歳の少年だ、というのだ。それを日本人が読んで笑えるんだから、病根の根は深い。いや、そこまで気が付く日本人がいるかどうか。

この記事をパロディとは言わない。夢いっぱいに書いたつもりなんだろう。アイデンティティと書くあたり、管理されて楽に生きることのできる社会に、人間性の原点に気が付いているのか。

何も考えないでも生きていける、ロボットのように自動制御されてサイボーグになるのも夢ではない。日本人の大好きなテーマだ。風もないのに由良町の風力発電21基は今日も回っている。なんで風車が回っているのか、もう誰も気にする人はいない。考える必要がないのだ。

それなのに全国には「考える会」という地域対策の仕掛けがあって、人々に洗脳という情報管理で魔法を振りまいている。ちょうど全国的に雨が降っているから「私たちは土砂崩れが心配です」と繰り返す。低周波被害に苦しむ被害者のことなどどこにもない。

もはや後戻りはできないけれど、人間は考える葦である、とか言った人のエライことよ。これから格差社会が明らかになっていく。お金があるとか、どうとかではなく、個人の価値がアカラサマニなるんだろう。百姓の一人暮らしも楽ではない。雨の合間を縫って、田んぼの様子を見に行くつもりだ。