撤去すればよいのか。

広島市の碑文については、以前からたくさんの言葉を聞いている。よほど効果があるようだ。由良港にもグラマンがやってきて艦船二隻が撃沈した。そこには石碑がある。我家にアメリカ人などが来た時、海岸をドライブして案内することにしている。その時、石碑の前を通るが、あえて説明はしない。100名ほどの兵隊が戦死してトラックで興国寺に運ばれたことなど言っても仕方はない。

アメリカ人はよく広島に行くのだという。何のために? と私が聞くと、「原爆の影響をこの目で確かめたいから」と答える。べつにそんなもの見なくても、地域の人のことも気にしてやったらどうなんだ、とアドバイスする。「行ったらダメなのか」、いや、そうでもないが、いい気はしないだろう、と話が続く。皆殺しにされたら、普通ではいられないだろう、と。

「もっとやっつけてやりゃよかったんだ」と私をにらむ。そんな言葉を何度か聞いた。私は御坊警察にマークされているから様々な嫌がらせを受けていた。その一つが外人さんが来た時の逮捕劇だ。パトカーがサイレンを鳴らして3台来て、10人程の警官が私の客を取り囲んで威嚇する。客が女子大生なら泣いて私に訴える。「なぜなのよ」と。

その点生意気なアメリカ人などは「アメリカ大使館を通じて言ってくれ。君に私を逮捕する権限はない」と突っぱねる。アホな警官は茫然として引き下がる。バカ丸出しだ。ここは日本なのに、アメリカ人に怒られると、なんの言葉も言えずにスゴスゴと卑しさを見せるのだ。私はもちろん、アホな奴らよ、と軽蔑する。

アメリカ人の非情さにも辟易するが、御坊警察が無言で退散するのを見るのは、アホらしさというか、さらに不快を募らせる。一度敵意を抱いた私に対しては何をやっても良いと信じ込んでいるようだ。原発の反対運動でもそうらしい。今、風力発電に反対するということは、それほど反政府活動だ、非国民だ、とマークされるらしいのだ。下関市の風力反対者なんか懲役刑だからね。

とまれ今日の記事よ。記事の趣旨は私も賛成だ。しかし、これだけ日本人をアホにしているんだから、そのことを気づかせてくれる石碑の存在は貴重だろう。「過ち」だから仕方ないのではない。前記の警官たちのように、私や、何の関係もない外人さんたちを逮捕して喜んでいる社会に対して、これが日本の姿だ、と常に知らしめる必要があるのだ。広島のことは言うまい。日本人のアホさが、この石碑に結晶したのだと思うのだ。