日本では、なぜ風力発電反対、と抗議ができないんだろうか。

世界中で風力発電反対、風車を止めろ、と抗議運動が起こっている。私は、なんで日本だけが、風力被害に抗議できないのか、それが不思議で悔しくてならないのだ。英語やドイツ語が分かるのは私だけではあるまい。今やほとんどの人がタブレット端末を持って、インターネットを楽しんでいる。

天気予報、書籍の購入、旅行計画、アメリカのこと、ヨーロッパのこと、皆さんも検索して情報を手にしているでしょ。自動翻訳もついていて、ボタン一つで、大体の意味はつかめるようになっている。だから情報がないのではない。見れども見えず、聞けども聞こえず、の状態にあるのだ。

それでもNHKなどの再エネ番組では、堂々と地球温暖化対策として風力発電を賛美した番組を見せている。人はどちらを信用するのか?被害者なら、被害地域の人なら、それくらい分かりそうなものなのに、日本では誰もがお花畑の環境論を真剣に繰り返している。再エネの時代だと。

この錯覚、認知不能は何なのか、不思議に思わないか。海外では、こんなにも抗議運動が各地で行われている。日本のように、どこに「土砂崩れが~」という環境運動があるだろうか。それらの運動はすべて偽物で、日本人をだますトリックで、風車病、被害者を弾圧する仕掛けだと気が付かないわけはあるまい。

そんな悪党と一緒になって、見せかけの風力反対、被害者つぶしに喜ぶ日本人とは何なのか。風力発電の地域対策だ、というしかないだろう。それは政府の方針だという。だから私は反政府活動をしているのだという。いいじゃないか。被害を受けたら抗議する。それが世界標準だ。答えは既にある。

それを知った上でのアホな環境運動で「土砂災害」と言う言葉遊びを繰り返すのだ。今や日本の環境運動家ほどトボケタ人たちもあるまい。被害なんてない。問題の大きさを取り間違えてはならない、なんてアホは、ただのコマだと言うことだ。人には良心があるという。致良知、人間性を取り戻しませんか。

エネルギーよりも、電気よりも、私たちには大切なものがある。それは日々の生活であり、自慢の日本社会であったはずだ。風力発電の被害に抗議しようぜぃ。