被害を訴えない、風力運動なんて

風力発電の低周波被害を訴えると私のように裁判にかけられて罪人にされてしまう。警察や検察は、地域の被害者から散々、被害内容を聞いている。その上での弾圧だからよっぽど彼らには自信があるんだろう。下関市の風力裁判なんか目も当てられないからね。いや、私だってすごかったですよ。

だから国家事業に反対しようとすると、かつての安政の大獄のように、首を切られて殺される覚悟が必要だろう。8年ほど前、京大の小林教授たちが由良町の被害状況を視察した時、「まるで徳川時代の封建社会だね」と苦笑していたものよ。日本海側ならなおさら、もっと時代を遡らなければならないだろう。

関西ではない、北陸の地の果てよ。やはりこの記事にも今はやりの「土砂崩れが~」と書かれている。土木工事をしっかりやってください、というメッセージだ。そして「考える会」。何を考えるんだろうね。便利な言葉だよ。被害者はヒツジにされる。地域社会は崩壊する。この言葉の通りになっていることだろう。

それでいつもの工作員たちが寄ってたかって、被害者を排除して、嘘八百の情報を刷り込んでいく。被害者にとっては狂気の管理社会だ。本当は、電気でもエネルギーでもない、ましてや地球温暖化でもない。金儲けのダシにされるだけなのだ。政治が、行政が、環境運動家が利権の旨味をサラっていく。

なんで日本には、海外に見られるような反対運動がないんでしょうね。私のように一人、コテンパンにやられるのを見るのが楽しいんだろうか。谷口さんら被害者は苦しみながら泣きながら亡くなったけどさ。誰も助けようなんてことはなかったよ。人々は笑いものにするだけだった。すっかり鴨葱の社会が出来上がっていたということだ。