君は、この間違いが分かるか。

今、全国各地で風力発電の建設が進められている。風力発電には低周波被害があって、風車病に苦しむ人が塗炭の苦しみに狂いながら死んでいく。あるいは地域を追い出される様子を紹介してきた。由良町で、いったい何が起こったのかは『風力発電の被害』に書き込んだ。各地からはたくさんの連絡があって説明もした。

あれから10年、風力発電の被害はさらに進化している。由良町で起こっていることは、全国レベルで行われている。まず、被害を訴える人が誰もいなくなった。仮に、被害範囲を周囲3㎞としても、重症の被害者になる確率は100人に1人~3人いることは分かっている。由良町でもそうだが、虱潰しに調査して消し去っていることだろう。

地域対策がしっかり行われているんだろう。ユダヤ人狩りみたいなものだ。人々は笑いものにして、何の関心も示さない。被害者は変な人として、排除されていることだろう。社会は完全にコントロールされている。あのドイツでもそうだったでしょ。「私たちは何も知りませんでした」と。今もそう言っているんだから人の良心なんてその程度のものだったのだ。

さて、添付したのは秋田のものだ。総理大臣も秋田と聞くから、大体こんなものだろう。田舎暮らしは夢もなく、貧しい生活が死ぬまで続く。都会に出て華やかな生活を楽しみたいと思うのは私だけではあるまい。政府の正体がこんなものだと気が付くではないか。とてもよく書けていると私は感心している。マンセー! と書くあたりは、一歩引いてみる必要がありそうだ。

日本人は簡単に踊らされるからさ。この地域にも風車病に苦しむ人がたくさんいるだろう。出羽三山の信仰の山々にも風力発電計画があって、土砂災害を理由に中止になったと聞く。低周波被害の言葉はどこにもない。つまり被害者の存在は認めない、と言うことだ。自称、風力反対運動の集団が、御用学者や御用運動家を招いてのイベントだった。

盛況だったらしく今もyoutube動画などで見ることができる。権力の嵩に罹った物言いよ。私は風力被害者なので吐き気がしたよ。たぶんそこらの被害者も同じ気持ちだったと思う。しかし低周波被害者は頭をやられるから、とうに人間性を失っているだろうか。弾圧を加えられるから、人は簡単にヒツジになることは、これまでの被害地を見れば分かるだろう。

さっさと逃げ出した人が賢いのだ。問題は、被害者を迫害して消し去って喜んでいる人々よ。地域社会の破壊だ。もう元に戻ることはない。総理大臣がそうなんだから、地域の人はこれが正義だと胸を張って自慢していることだろう。田舎は、ますます住めるところではなくなっていた、と言うことだ。これはもうスパイや工作員、行政や政治、と言うだけではなく、そこに住む人々の総意に近いものだろう。

共通の認識、被害者の無視、排除に染まっていた。被害者は敵なのだ。この点が、海外の反対運動と180°違う、正反対なのだ。これは何も政策的なものだけではなく、私たち日本人が持っている業、宿命なんだろうと私は感じ始めている。日本の民主主義とはこんなものだったのだ。アフリカやハワイの原住民でさえ、情報の少ない中でも正々堂々と反対運動していることは何度も紹介したとおりだ。

政府による弾圧はあるようだけど。「まだ言うてるんかい」と私に怒鳴りつける人々がいる。オオカミ少年と笑う人がいる。被害を訴える私に対して、人々はよっぽど優越感を持って喜んでいる。谷口さんらが泣いて私に掴みかかってきたはずだよ。それを彼らは笑いものにして喜んだ。由良町には今日も風なんか吹いていない。

それでも風力発電は勢いよく回っている。すべてはウソなのだ。人々は、こんなにも簡単に魔法にかけられて言われるままに踊らされている。もはや何を言っても通じない。再エネの時代よ。結果は既にあるのに誰もそれが見えないらしい。いや、彼らは何でもいいのだ。言われるままよ。これはおかしい、と感じる人はまだいるんだろうか。

日本だけ、反対運動も抗議運動も何もないことが不気味なのだ。自分たちで敵を作り上げて弾圧する。自分たちでガス抜きをして喜んでいる。田舎町なら100人に一人でも、都会も含めると、それは限りなくゼロ0に収斂する。被害者なんかないんだ、と。風力発電に反対しよう。低周波被害に抗議して怒りを伝えよう。由良町の風力発電を撤去しろ。