たとえば水の中に居て 渇を叫ぶがごとくなり

産経の提灯記事を見ながら、つい、白隠禅師の「座禅和讃」を思い出していた。衆生本来仏なり~、というお経よ。今、お坊さんになる人が少なくて、各地に無人のお堂が増えているという。私の近所の開山興国寺でも、50年前は、大本山興国寺専門学校などと書いて、10人以上の雲水がいて、にぎやかにやっていた。

地域の人たちも信心深かったように思う。今はそんな気配はどこにもない。先日、親父の7回忌の法事をしたけれど、「今年になって二度目の法事です」とお寺さんが言っていた。法事をする家族もいなくなったらしい。さて脱炭素の顛末よ。火力発電が引退したら電気が不足するとある。太陽パネルは、夜は発電しないと書く。

風力発電は、もともと発電能力はないからね。そこでJERAとか、TF(タクスフォース)とか、訳の分からない組織を作って陰謀論だ、バランス維持だと結論する。この記事を見て、何のことか分かる人がいるだろうか。まるで環境省の報告書みたいだよ。風力発電の低周波測定業務で、低周波音は観測できませんでした、とかさ。

そして誰もこの記事に、こんな日本のエネルギー論に、抗議する人がいないのだ。発電所の現場では、今日も相変わらず決められた発電を行っているはずだ。それでなければ日本の産業も生活も、何もかもが止まってしまう。あまりに無責任な記事に、新聞代に見合う、まともな記事を書いてくれ、と腹を立てるのは私だけではあるまい。

今年は雨が多い。水力発電には有利だろう。しかし日照り続きの雨のない年も必ずある。まして太陽光や風力などと、自然エネルギーなどと夢物語の願望だけのエネルギー論などいらんわな。「当処即ち蓮華国 この身即ち佛なり」と和讃は結論する。現実の世の中は、理想通りにはいかんのやね。