オーストラリアの風力被害を検索してみた。

ふと気が付いて、Australia、 windmill diseaseと検索してみました。そしたら一行目に、ウィキペディアです。完璧な被害否定を書いている。

<https://en.wikipedia.org/wiki/Wind_turbine_syndrome> 風力タービン症候群 -ウィキペディア (wikipedia.org)

日本でも「水俣病」についてウィキペディアに書きものがあるから、同じようなものか。被害者は何も言うことができない。明確な力関係の差がある。ウィキペディアは便利なツールだけれど、ウワッ、という厭らしさを見た。そして逐次、ずーっと、「被害はないんだ」という欄が続く。偉いもんですね。

ここまで対立、というか弾圧が行われているという恐怖なのだ。オーストラリア人とはこれまで仲良く話してきたし、朝まで飲み明かしたこともある。それほどに相性の良い人たちなのだ。貴族のようなブリティッシュイングリッシュを話す人もいる。それなのに彼らの世界に一歩足を踏み入れると、人に対して、なんという残酷な連中であることかと驚いたのだ。

日本でも同じですけどね。由良町では、例の風力被害に苦しみながら亡くなった谷口愛子さんの周囲の人たちは、なんだかんだと言っては喜んでいる。「そういえば早死にだったね」というのだ。勲章をもらった人もいる。こんなところに再エネの仕組み、国家社会主義の闇があることが分かるのだ。

罪にならなければ、人はどんな残酷なことでも喜んで、被害者を笑いものにして虐待してしまう。いやはや、地域の人々はネジを巻かれているんだろうが、大喜びして、私を怒鳴りつけに来るんですから、大したものですよ。h24年の最初からそうだったかな。もし、私に家柄という盾がなければ、どうなっていたことやら。やっと自分の価値に気が付いているところさ。

今、というか前から気が付いていたけれど、我が家は南朝方で戦ってきて滅んだのだが、今回も同じことを繰り返しているのか、と危惧している。室町幕府は花の御所、という。我々は山野に潜み、後世まで事績を語ることはできなかった。あの安岡正篤でさえ、先祖を語るとき、その言葉は静かなものだった。

私はよくアメリカやヨーロッパの風力反対運動を紹介しているけれど、彼らだって大変なようだ。最近、英語で検索すると私のページの紹介が「画像集」などで目立つのだ。私のようなものでも、これだけ出てくるんだから、すでにやり過ぎているのかもしれない。かと言って、日本ではもう風力発電の被害に抗議する人はいないし、全国各地の自称、反対運動は全くの偽物にすり替わっているし、ここに極まったか、とも思えるのだ。

洋上風力の反対運動なんか、とうに終わっている。あほな連中よ。それでも時代は動いていく。日本では、風力発電は何の役にも立たない。ただの演出だからさ。日本は、転落するしかないんだろうか。ずいぶんと貧しくなったなぁ、と感じるのだ。今日のニュースでは、伊豆で大きな土砂災害があったらしい。

twitterなどでは、産廃の土砂、メガソーラーの影響、とか情報が飛び交っている。グーグル地図には記載がないとか、ボロボロになった再エネ礼賛の記事を見る。テレビや新聞では、絶対にそんなことは言わないからね。あのコメンテーターたちは、すべて役者さんだと分かったよ。心理コントロールだよ。

理由が分かっている人もいるだろうが、テレビや新聞の情報で日本社会はいいように操られている。よかったら。検索結果の英文を読んでみたらよい。自動翻訳もあるから、参考にしながら、いかに被害者を否定して、人を貶めて勝ち誇っていることかと感心するのだ。アウシュビッツとか、東条英機とか、同じことやで。社会の転落が始まっている。