願望だけの自然エネルギー

「土砂崩れが心配だ」と環境運動家たちは真剣に訴えている。風力発電に反対だ、という自称、反対運動のすべてがそのような同じセリフを繰り返している。全国各地で金太郎飴のように同じ言葉を繰り返し聞くから、「またかいな」とウンザリするのだ。

h19年頃から伊豆や伊方で、風力発電の低周波被害が盛んに訴えられてきたから、本当を言うと、自然環境を守りましょうという環境保護に関心のある人なら、大体は何が悪いのかぐらいは知識としてあったことを私は知っている。今はすべての被害地域で、風車病の苦しさを訴える人は消されていなくなっている。

と同時に、あの時、「考える会」「野鳥の会」といった人々が被害者に付きまとい、被害を否定して黙らせた実績から、何が原因なのかも十分に理解しているのに、と私は考えている。被害者への弾圧は、それはヒドイものだったよ。今日の天気図を見ると、梅雨の時期らしく、全国的に雨模様になっている。

和歌山も朝から小雨が続いていた。私は田んぼの水が十分にあるので、楽ちん楽ちんと小雨を歓迎している。水がないと百姓同士で取り合うからさ。これだけ全国的に雨が続いても、メガソーラーなど、太陽パネルの電気が問題になることはない。主力電源、ベースロード電源と言いながら、「今日は雨なので電気はありません」なんてニュースはない。

もともと当てになる電気じゃないからね。夜は発電しないでしょ。風力発電なんか、もっとひどいもんさ。風なんか吹いていないことは初めから分かっているのに、偽物のデータを観測して、「ここは風況がいいですから」なんてスローガンが合言葉になっている。大本営発表と同じで、ウソをつくことが仕事になっているのだ。ラクな仕事はないわな。

日本人には自責の念はない。それでも各地の自称、反対運動、お花畑、人工芝、いろんな言い方をされている人々は「土砂崩れが心配だって」と嘲笑っている。再エネの権力側にあることを自覚して勝ち誇っているのだ。被害者に対して驕り高ぶっている。被害者は、それだけで黙りこくって動物になる。その地域の人々も、絶対に被害者の側に立つことはない。

軽蔑すべき非国民、頭のおかしな人だからだ。NHKドキュメンタリーのユダヤ人迫害の場面にも同じお話があったものよ。由良町では、『風力発電の被害』を見せて説明しても、怒って見せても、誰も反応する人はいない。笑いものにされて怒鳴られるだけである。それは伊豆や伊方でも、同じことになっていることはこれまで書いてきたとおりだ。

試しにそれらの町に電話してみるがよい。笑いものにされるで。完璧な被害地域の管理。リーダーは表彰され、叙勲され、人々の称賛を浴びている。私とはエライ違いよ。由良町だけではなく、各地の風力計画地、被害地でも、私は総スカンになっている。被害者でさえ、私を「名誉棄損で訴えてやる」と怒っているからね。これが風力被害者の真実さ。

ドイツのホロコーストでも、ユダヤ人リーダーがユダヤ人名簿を作成してせっせとゲットーに送っていたし、ガス室も焼却処理もユダヤ人が担当していたという。風力発電の被害者たちも全く同じシステムになっていた。私は、どれだけたくさんの被害者たちから叫ばれ、罵倒されてきたことか。汐見文隆医師や窪田泰さんも同じ体験をしていた。

だから私も、なんだかこんな被害なんだろうと思ってきたのだ。「社会が破壊されるんやで」そう言って私を励ましてくれた人もいた。あちこちで叩き出されたらしくて、最近は音沙汰がない。「土砂崩れが心配だ」と驕り高ぶる環境運動家たちよ。君らの時代を謳歌したまえ。私は人として恥ずかしくない人生を送るつもりだ。

逆に、「私は恥ずかしくてならない」と谷口さんはそう言い残して逝った。よっぽど恥ずかしい目にあったらしい。それが私の風力裁判へと続くことになった。それさえも人々の笑い話となって、喜ばれている。新しい時代なんだろうか。いや、ウソは嘘でしかない、と私は思っている。