『沙林』を読んだ。

ふと気になって読んでみた。30年ほど前、私は永福町にいて、渋谷駅などでお面をかぶって踊っている彼らを見ている。「あなたが普通でいられることが信じられない」そんな取材の言葉があった。単なる殺人事件ではなく、組織だった闇の深い事件だった。

今もなお彼らの修業は続いているという。詳しい経緯は、本書だけでなく、これまでもたくさんの書物になっている。この本にはサリンなどの毒物の解説が最後まで専門的な記述で説明されている。私も多少は知識があって、有機リンと言えば農薬だな、と気が付く。

シアンガスでさえ、蜜柑の農薬として使っていた。こちら和歌山でもこの農薬で事故死した百姓がいる。つい最近のことだ。今でも古い百姓家には、そんな危険な農薬の残り物はあちこちにあるだろう。商品名「フッソール」なんて強力で、酢酸とフッ化水素で簡単に作れてしまう。

この本が出たことで、私のように、ああ危ないな、と感じる人はいるだろう。いつ、同じ事件が起こってもおかしくはないのだ。社会的な倫理観が堅固に築かれているか。常識という社会的な合意は、間違いなく私たちにあるか。そんなものどこにもないんだよ。私は、風力発電の被害を見て、そのことは確信している。

人はいとも簡単に洗脳されるのだ。たとえ被害者になって死ぬことになっても、本人はおろか、周囲の人だって笑って手を叩いて踊るのだ。それが風力発電の被害だ。オーム事件とどこが違う?各地の自称風力反対運動は、実は風力被害を否定して、被害者を隠ぺいする組織的なトリックだ。最初から、彼らのことは風車教と呼ばれてきた。

単なる行政や業者の手先ではなかったのだ。被害者を虐待して消し去ることにえも言えぬ快感があったことだろう。由良町で散々に見てきたのだ。『風力発電の被害』に書いたとおりだ。あれから30年が経っている。私たちの社会は、こうした異常な生贄儀式なしには維持できないんだろうか。

風力発電の被害で、いったい人々は何をしているのか、大きな視野を持って見つめてほしいのだ。「嘘つくな」と被害者を虐待するかい。環境省は、被害者を精神疾患のものだと言って排除している。問題の大きさを取り違えてはならない、ともいう。被害者よりも大事なものがあるらしい。それは何か。狂気だよ。

その狂気について、この本は迫っている。谷口さんらが亡くなった時、人々は手を叩いて笑って喜んだ。「わしらは面白うてならんのや」と。これが風力発電の被害でなくて何なのか。風力発電はトリックだ。その悪の事業を明らかにしようではないか。