二冊目の本を書いている。

『風力発電の被害』は2016年8月に書き上げた。500冊余りの本が全国に行き渡ったから、この手の本としては一応の目的を達したんだろうと思っている。肝心の由良町では1冊だけ売れた。あとは地域の人にこれを読んでくれと頼んでみても、ワアッー、と言って子供のような身振りで逃げ出すようになっていた。

我が家の蜜柑畑には、ボロボロにされたこの本が廃棄されていたことはこれまで書いたとおりである。あれから5年たち、風力発電の被害はますます進化している。洋上風力という新たな事業に、地域の人々もすっかり舞い上がっている。原発の時と同じだ。添付したグレタさんの影響は大きい。

地球温暖化と言い、脱炭素と言い、とくに目新しいことは何もないのに、「画期的な技術革新」というスローガンはいったい何を意味しているのか、その疑問すら、誰も言葉にできないでいる。オーム教みたいやなぁ、と私は思っている。都会に住んでいると風力発電もメガソーラーも、普段の生活では目にすることはないから何のことか分からないだろう。

再エネ賦課金など、電気代の13%だから、消費税みたいなものか。誰も抗議する人はいない。積み上げると莫大な金額になるんだけどな。各地に風力反対運動ができて、何を言っているのかと思いきや、御用学者の被害否定の勉強会だったり、常連講師の環境運動会だったりする。その地域には、とうにたくさんの風力被害者がいて苦しんでいるというのに、まったく知らん顔して、むしろ黙らせているんだから何だこりゃ、と驚くのだ。

「土砂崩れが心配です」というフレーズは全国共通の言葉になっていた。これまでは「私たちは風力発電には反対ではありません」と言っていたものよ。こんな腐った言葉で、風力発電の運動を取りまとめていたのだ。参加者は、当然誰もが賛同して笑っている。分かっている人もいるだろう。いや、それが目的の運動会なんだから、仲間ができてお楽しみの会になっていることが分かる。

私は当初から「風車愛好会の面々」と言ってきた。たまに、あちこちからまじめな電話が来て、「何としても風力発電の建設を止めたい。被害者を出したくない」と言ってくる人がいる。その後どうなったのか分からない。いつもの「考える会」としてやっているから、その地域の名で検索すると、やはりグレタさんの話で盛り上がっていることが分かる。

環境省の言葉の通りに書かれているし、youtube動画でも懲りずに同じ言葉をアップしている。今でも「ドイツに習え」と言っている人がいるんだから、私ももうアホらしくなってきた。やはりオームなのだ。これまでホームページで紹介してきたように、ドイツでもヨーロッパ諸国でも、風力発電の被害に対して、たくさんの抗議運動が行われている。

日本にはなぜ、これだけの情報がありながら誰も抗議しないのかと不思議でならないのだ。私に対する悪口で盛り上がっているだけよ。各地の風力反対事務所に電話すると「あぁ、あんたか」と吐き捨てられる。「えらそうにするな」と怒鳴られることもある。エライすんまヘンな。その地域にも風車病に苦しみ、そして弾圧の苦しみに泣いている人がいることだろう。由良町と同じさ。

被害者に対する弾圧。そりゃ抵抗できない頭をやられた被害者を大勢でいじめ倒すのだ。こんな面白いドラマもあるまい。由良町で散々見せてもらった。twitterでも同じことだった。言論統制、というより簡単に社会心理としてコントロールされていた。冷静に添付のグレタさんを見ると、なんでこんな話に皆さんが洗脳されてしまうのか、それが怪奇現象だとしか思えないのだ。

ボアしてよかったね。これは日本人の本心なんかい。二冊目は、社会心理としての被害者弾圧の仕組み、実態を書いている。風力裁判でもそれが明らかにされた。地域の人々は大喜びだ。かつて谷口さんが亡くなった時も人々は手を叩いて笑って喜んでいた。社会を支配するには狂気が必要なのだ。菅総理の郷里では、大規模風力発電で沸いている。

風車だらけだよ。もちろん地域の人々は被害も含めて大喜びに狂っている。手の付けようはない。こんな日本人の、どうしようもないバカさ加減の展開を詳細に書いている。すべて事実ですからね。