夫婦別姓も楽じゃない

Twitter記事を見ていて、徳川慶喜公の玄孫の女性がその世界の記事を書いているのを見た。とくに珍しいこともなかったが、元気いっぱいの文章に、「自慢話でもよい、愚痴でも後悔でもよい。当事者としての生きた話を伝えてほしい」とエールを送った。メディアや評論家の書いたものなど、しょせんは野次馬だ。家族や子孫が思っている事とは違うだろう。

我家にも叔母や大叔母がいて、たいそうなハチャメチャ振りでありました。男の方はおとなしい気質なのに、嫁に行った娘となると、なんでこうも傍若無人なのかと驚いたものよ。たぶん実家に誇りと自信があったのだ。それを支えに生きてきたんだろう、と今では思っている。「由良の人はすごいわな」親類に新たに入った嫁はそう言って笑っている。

私の母も常々同じ言葉を言って怒っていた。この記事には姓と氏について難しい論理を書いている。結婚して姓が変わる。その人の質が変わるわけではないから、死ぬまで実家のプライドを背負って生きていくことになる。そういうことなんだろうと私は考えている。サラリーマンだった若い頃、何度か婿養子に来てくれないかと誘われた。

私は長男坊だから無理だと言ったのだが、田舎で百姓するより、広い世界で楽しく過ごす方がどれだけ人生豊かになるか考えても見よ、と言われたものさ。結局ご縁がなかった。おかげで今も気ままな一人暮らしをしている。この古い百姓家で暮らしていると、なんだか先祖に守られているような気がするのだ。

由良守生だから、私が守っているのか、守られているのか分からない。もう一つ、遺伝子検査をして、源氏なのか平氏なのか、藤原なのか徳川なのか、そういった系統が分かれば、また別の自信というか生き方が見えるかもしれない。日本には旧家と言われる人々がたくさん住んでいる。

本人は何も知らないだろうが、意外に各地には名家の血筋が残っているだろう。隠岐の島には天皇の子孫がいたりしてね。イギリスなどでは、ずいぶんとそんなサービスが進んでいるという。ぜひ、日本でも、自分が何者であるのか、手掛かりを掴めるようなツールがあっても良いと思うのだ。