ドイツの風力反対運動。

ドイツ語で「protest windkraft」(風力発電に抗議する)と検索してみた。ドッサリと抗議集会やデモの様子が出てくるではないか。添付図はドイツだけのものだ。これがヨーロッパ諸国、アメリカなどの世界に広げてみると、どれだけの抗議運動、反対があるのか分からない。

日本では、「ドイツでは上手くいっている。なぜ日本では風力発電が普及しないのか、それをみんなで考えよう」と言われている。アホぬかせ。環境運動家は、しょせん指示された受け売りの言葉を繰り返すだけだけれど、目の前で風車病に苦しむ被害者を弾圧して、よくもそんな酷い言葉が繰り出せるな。

仕事だから、依頼されたから、国策だから、人の命なんて軽いものさ、というのだった。人に対する思いやりの心はどこにもない。これが日本の環境運動会の実態だ。もっともドイツの風力反対運動でも、10Hルールというおバカな政治用語がまかり通っていて、迷路に追い込まれていたりする。

風車から1㎞離れたところで、卓越した被害成分はほとんど減衰せずに伝播するのにね。海の波でも、波長の長いうねりは、どうしたって防げないでしょ。それと同じ現象だよ。何人かのドイツ人と話した時、ギターやバイオリンの音色に、彼らはとても敏感に反応することに気が付いた。

私はCDのデジタル音と、LPレコードのアナログ音が分かる程度だけれど、彼らは音色そのもの、その質感が分かるのだ。倍音の違いにも詳しいだろう。日本人にはない資質だと思った。これが彼らが「STOP」、「NEIN」という理由だ。風力発電の発する卓越した空気振動、気圧変動に苦しんでいるのだ。

ところが日本ではどうだろう。私がドイツのこんな事情を説明しても、誰も理解を示すことはない。私に嫌悪の表情を見せるだけなのだ。各地の自称風力反対運動でも、絶対に、この添付図を見せることはない。つまりその運動会は偽物だということだ。日本ではどの風力反対でも「土砂崩れが心配です」と言うようになっている。

主催者も、参加者も、まるで宗教行事になっている。オーム教と同じやなと思うのだ。もちろん工作して作られた運動会さ。風車病に苦しむ被害者の姿はない。由良町の我家では、今日も風力発電の低周波で耳鳴りがして目眩がする。体がしんどい。なぜ日本では、私一人が風力被害を訴えているんだろうか。名誉の勲章なのか。

肝心の日本ではなく、世界の関係者が私を見ているのかもしれないな、と感じている。