産経の提灯記事、空虚な記事よ。

12/21日、産経に変な記事があったので、先日の東京新聞と見比べてみるがよい。知っての通り、風力発電の発電能力といっても、稼働率がある。福島沖の風車は、せいぜいが10%程度だったという。つまりほとんど発電しなかった。それなのに日本では、固定する着床式ではなく、浮体式が中心になると書く。台風や時化の高波に洗われたら、それでもうおしまいなのにね。大体、低周波被害のことが何もない。

日本では被害は認めない、というのだ。この辺のファシズム、プロパガンダには恐ろしさを感じるではないか。和歌山沖で、1㎞もいけば、水深は60~80mになる。その上に鉄塔を建てると、どんなことになるやら。現実には無理だろう。設計計算してみれば、そのアホらしさが分かるはずよ。水面下は係留索でいっぱいになるんやろうね。

問題は、誰もこんな記事を見ても怒らないし、何も感じなくなっていることだ。由良町で起こった風力発電の被害を見るがよい。谷口さんらは被害を訴えながら、苦しみながら亡くなったではないか。それを行政や警察、環境運動家たちはゴミクズの様に隠してしまった。風力裁判では、それがどういう意味だか思い知らされた。下関市の風力裁判でも、それは同じだろう。

国家犯罪だよ。地域の人々は大喜びしているから、生贄が欲しかったんだろう。自分たちが被害者になっているなど、これっぽちも感じないらしい。「アホよら、アホよら」と手を叩いて笑うのだ。私も笑いながら「よかったじゃないか」とからかったものよ。風力発電は精神を破壊する。社会が崩壊する。被害者の断末魔を見て、なんで皆さんは笑って喜んだんだろう。

私はそれが恐ろしくて『風力発電の被害』を書いたのだ。海外では、アメリカでもヨーロッパでも、人々は風力発電に反対し、そして抗議運動を起こしている。日本のそれは被害を隠蔽するエセ運動会になっている。気が付いている人もいるだろう。風力発電に反対しよう。被害に抗議しよう。日本を取り戻そうではないか。