風力発電は戒厳令なのか。

コロナウィルスの記事ばかりなので、日本社会はどうも画一すぎるな、と辟易している。それ以外には関心というか、考えられない人種らしい。ふと、産経二面にある記事に目が留まった。「火事場泥棒」「戒厳令」「予算」とキーワードは続く。そして最後には「謀を好んで而して成すものたれ」とある。風力発電のことではないか。

様々な謀をめぐらせて、カネを作り、被害者を否定して排除して、行政も司法も政治も知らん顔をする。いったい誰がこの仕組みを考えてビジネスにしているのかと疑問に思う人もいるだろう。日本の環境相は「地球の気候危機」だと言っている。国連気候サミットの受け売りだ。太鼓叩きの役に徹している。政治家は利権がないと動かないから、たっぷりな旨味があるんだろう。

将来の首相候補なのだという。怖ろしい現実よ。固定価格買い取り制度、再エネ賦課金、環境省の被害否定の報告書、環境保護団体の再エネ礼賛、被害地域の管理、被害者による被害の否定、どれをとっても策謀の成果ではないか。風力被害地では、たくさんの被害者が苦しみながら死んでいった。ジェノサイド、計画的な殺人、排除ではないか。

それを知っている地域の人までが笑いものにして喜んでいる。社会の崩壊よ。私は、これが究極の目的なんだろうと感じている。低周波被害者になると、何もかも敏感になるのだ。他人の考えさえも過敏に感じるようになる。低周波被害者の会の窪田泰さんも、だからウソツキは少し話しただけで直ぐに分かるんだ、といっている。

同じように、他の低周波被害者も、敏感に人の考えが分かるようになっているはずだ。かなり辛い症状だが、あの谷口さんも、「人というものがよく分かったよ」と何度も伝えてきた。私は今まで何を見てきたんやろう、と。日本各地には、あたかも風力発電に反対しているというグループがある。しかし海外では当たり前に「風力発電を止めろ」といっているのに、日本には一切ない。

ではなんで反対しているのかというと、土砂崩れとか景観とか、騒音とか、対策しましょうという話になっている。つまりエセやね。発電効率なんて、論外だろう。由良町では、たくさんの風力被害者が苦しみながら死んでいった。なんでウソだと言って、笑いものにするんだろう。気候危機ではなく、社会の危機なのだよ。