学会という組織の終わり

私は勉強ができなかったので、まさか学会などと言うところへ出入りするとは思ってもいませんでした。学食で定食ランチを食べていると担任の先生が来て、「土木学会にはいりなさい」と言われたのが始まだったと記憶しています。

長岡技大の学食は、北アルプスの白い山々を見渡す絶好の丘にありました。目の前には毎日牛が放牧してあって、煙草畑が広がっていた。さて最近の学会はエラク変わってきている。土木学会誌などは、表紙はマンガになってしまった。

中身もなんだか若い人たちの楽しそうな会話で弾んでいる。去年、年次学術講演会に参加したけれど、企業のアピールか?と思うようなものがたくさんあった。査読もあるんだろうに、なんだかなぁ、と不思議な気配があった。

そりぁ、あの北大で風力発電の被害を発表するんだから、緊張感と警戒で胸がいっぱいでした。日本騒音制御学会などという御用学会もあって、「学会」という存在が信頼の低いインターネットのような使われ方をしているようだ。

それでもインターネット検索すると必要な情報も出てくるしな。添付の論文集を見ると、いかに日本の論文の程度の低い事かと驚くで。日本では、低周波音被害は言葉すら存在しないことになっている。

海外から見ると、そりゃアホにされてカモネギにされるわな。日本社会は、管理社会にされて危ない状態になっている。由良町の風力発電を止めてくれ。