風力発電の強制

風力発電の強制

風力発電の低周波被害を受けて、汐見先生や窪田さんに助けを求めて訴えていた人が、ある時、急に手のひらを返したように裏切る場面を何度か見てきました。

もちろん私にも何度かありました。

正義の味方としての低周波被害の専門家、第一人者であった汐見先生にまで助けを求めるくらいだから、相当、切羽詰まった苦しさに苦しんだと思います。

それでも「私たちは風力発電には反対ではありません」と憤りを込めて言うようになるのだから、何がどうなっているのか、私には戸惑うばかりでした。

私のページ2014.2/5日、蒲公英工房での対談(youtube)には黒田街子さんらの体験が語られています。風力発電の有害な低周波は、測定してみると分かるように特異なピーク、卓越した被害成分があって、倍音、高調波といった独特の挙動が観測されます。常時1.000倍のエネルギー変化が激しく繰り返されます。Youtubeには低周波測定としてアップ(morio yura)しているので「独特な挙動」を見てください。この挙動こそは低周波被害の原因です。

さて、小林先生から被害者たちの様子を考えるうえで参考になるから、読んでみないかと勧められた一冊です。

「空気の研究」では、やはり山本七平が有名です。それを現代風に分かりやすく今を解説したのがこの本でした。いや、さらにレベルアップしていると思いました。私が一人、なぜ、風力被害を訴えることが出来たのかも、それなりに指摘しています。

究極的には「私は違う」という固い核があったからですけど。

一般の風力被害者は、差別と排他的行動に出会って屈服して参ってしまったのでした。

生きるためには自宅を捨てて逃げ出した人もいました。被害地域ではそれがおかしくてならないのです。他人の不幸は蜜の味です。引っ越した人は、そんな社会、世間がアホらしくなったのです。

自然エネルギー、風力発電といった宣伝を繰り返し、低周波被害、公害は「ないこと」にして強制したのです。ここで前記の自称被害者たちが急に「私たちは風力発電には反対ではありません」と主張しだしたことに策略があるのは誰にだって分かります。

環境運動家たちは大喜びで、このような変更した被害者を弄びました。

環境運動家たちは私に、「なぜ風力被害者たちの気持ちが分からないのか。由良さんも風力反対ではありませんと言ったらどうか。いいかげんにせよ」と繰り返します。

被害者を弾圧して、風力を推進することが面白くてならないのです。もともとそれが彼らの目的でした。電気でも自然保護でもなかったのです。自然エネルギーという「空気の支配」を強制することが目的でした。それで地域社会が崩壊して、全国で被害者が苦しもうが、少数者に対する「差別的で排他的」な社会構築が目的だったのです。

環境省の報告書はそれを保証するものでした。

由良町議会は激しく壊れていました。他にも同じような悲惨な自治体をいくつも見ました。県へ行っても、国へ行っても、被害は認めない。そして弾圧の言葉をぶつけられました。彼らは被害者を弾圧するプロでした。初めから組織的に用意されていました。

ですから今まで考えられていた行政や社会、世間といった私たちの生活を取り巻いていた環境は、人を救う力などないことが現実に分かりました。

もう既にたくさんの風力被害者は、現実的な判断をして、死ぬか、逃げ出すか、裏切って協力するか、じっと我慢して人生を破壊されるか、地獄を見ています。

環境運動家たちは、上からそれを見て叩くことが面白いのです。

先日の12月議会では、下関の有名な風力反対運動にも参加していたような被害者がわざわざ由良町役場まで2度も電話してきて私への批判、抗議を繰り返したそうです。

同時に下関議会でも風力推進の発言が公に議論されました。全国をまたいで風力推進の熱意、悪意が連携していることが分かります。

由良町でも畑地区だけでなくコテンパンでした。被害に苦しみながら死んだ人たちは何だったのか。それを何で手を叩いて笑いものにして喜ばなければならないのか。

私一人が「風力を止めろ」と、何を言っても通じるものではありませんでした。

私は我慢強くて、精神力で頑張っているのか?

どうも違います。グーグルで「由良守生、風力発電」と検索すると、

「画像」の欄には、これまでの記事や写真がたくさんアップされています。私でさえ大変なことをしてきたと驚きます。もう7年間ですからね。

しかし、その方が楽だったのです。

由良町役場の言うように「被害はない」「被害の訴えは聞いたことがない」という自治体や共同体を信じますか?

純真な私にはとてもできません。

たとえ「差別的で排他的」な対応ばかりで苦しめられたとしても、到底彼らの仲間にはなれませんでした。彼らの汚い喜びに賛同することはできませんでした。

どちらを選ぼうとメリットとデメリットはあります。私は自分の信念に基づいて、社会イデオロギーに押しつぶされてガマンするよりも、「苦しいから止めてくれ」と叫ぶ方を選びました。

その方がよっぽど人間らしくて生きるのが楽だと考えたからです。

実は私個人の力だけではなく、先祖の霊や、史記などの行動哲学、応援してくれる人への感謝もありますけどね。

風力発電の事業は、とうに機能不全に陥っています。これまで記載してきた通りです。

学者と言われる連中でさえ、誰も検証しないのはなぜなのか考えてみてください。上っ面の風力賛美、追随の論文ばかりでしょう。教養や学歴など、正義には何の役にも立たないことを見たものでした。

風力発電には「NO」と言いましょう。

世間に流されていては生きていけませんで。