再エネ推進の現実

8/6日付けのページにも、風力発電はわずかに0.6%で「これからも増えることはない」という記事をアップしました。風任せの不安定な電源で当てにはならず、決局、多額の金をドブに捨てていることを書いていました。

今回の記事も、太陽光の現実です。しかし私が、ここで問題にしたいのは、この政治家や行政の姿です。デジャブ。以前にも同じ風景がありました。風力発電被害です。

彼らこそは風力発電の建設を推し進め、被害者たちを弾圧して追い出したのでした。試しに東伊豆町に電話してみるといい。「風力発電で被害者はいますか?」、《いいえ、そんな人はいません》と判で押した答えが返ってくる。

ウソつけ、では伊豆半島から逃げ出した被害者たちは何に苦しんで、せっかく購入した家屋を捨て去り、転居していったのか。何か苦情を言っていたのではなかったのか。

環境運動家たちも、セッセト被害者弾圧に力を尽くした。風力発電地域は今、バイクのツーリングコースに良いと盛んにアピールしている。格好のドライブコースになったというのだ。それが目的だったのか嬉しくてならないようだ。

今また太陽光で同じ動きをしている。政治家にとっては駆け引きのネタなのだ。私も町会議員なのでその心理は痛いほどよく分かる。利権があるんですよ。エコ利権が。その金額のことも、この記事には詳細に書いてある。汚い連中よ。

風力にしろ、太陽光にしろ、自然エネルギー、再エネ推進と莫大な予算と集金を政治で決議して「底抜けの無責任」で誰も反対できない形にして悪党が金を得る仕組みになっている。

環境省の被害者を否定して、弾圧する報告書の繰り返しはどうだ。犯罪としか言いようがない。

8/31日に、私は北海道大学で土木学会の研究発表をしたけれど、大きなスクリーンに由良町の風力発電の風景を映し出してみると、「起こるべくして起こった被害、虐待の風景」であることに改めて気が付いた。

被害者が亡くなると、議員たちは笑いながら手を叩いて喜んだ。畑中町長は、因果関係はない、と言い放った。被害者たちは人間性を奪われている。

亡くなる前にも「私は恥ずかしい」と繰り返した被害者がいた。少数の被害者を公然と非難する役場関係者、地域の人がいたからだ。もちろん事業者はオチョクリに徹した。