なぜなんでしょうね。

日高町と由良町は、ほんの1㎞、小さな丘の様な山で接していて、交流もあるのに。なぜこんなに違うのかと不思議です。祖母と曾祖母は日高町産です。それぞれの実家も兄弟もいて、従兄弟たちもたくさんいます。

日高町の「せやまつうしん」は風力発電の反対意見を取りまとめるためにたくさんの人に配られました。中には低周波被害を否定して、風力が必要だという人もいました。なんか嫌らしい人でした。

由良町の「雨司山」通信は被害者だけを集めて秘密結社にして情報管理と地域社会の閉鎖を行いました。元々そういった陰湿な風土がありました。被害の隠ぺいです。

その中で「猿回しのサルにされた」ようなのがいて、全国に連れ出されました。それが良かったのか悪かったのか、全く私の知らないところで行われていました。

東京の窪田泰さんからたまにその話を聞かされたものでした。私は全く蚊帳の外でした。この二つの投稿記事は何を意味しているんでしょうか。

「誰も被害を訴える人はいない」と繰り返す畑中町長。6年半、27回も連続して被害を訴える律儀な議員。

水俣病では日吉フミコ議員は13年も被害を訴え続けたというからまだまだこれからか。もう少し犠牲者、生贄が必要だということか。イタイイタイ病では、被害の否定、隠ぺいの歴史が50年も続いたという。

たくさんの被害者が苦しみながら亡くなった。由良町では、議員たちは被害者が亡くなると手を叩いて喜んだ。何か理由がありそうなのに誰も言葉にしないのはなぜなのか。

私のチョウバツ特別委員会は今も生きていて、ひどい弾圧を受けて苦しんでいる。月20万円の給料と引き換えだと思っている。