最近、風力発電被害に苦しみながら亡くなった人たち

風力発電の低周波で苦しみながら亡くなる人は、共通した事項がいくつかあります。

私の語彙では、専門的な言葉での表現が拙いのですが、ある程度年をとっていて、体に弱いところがあって、病気があって、心が弱い人、自宅の場所、構造、です。

私は生来、内気で気の小さいタイプです。視力がよくて、由良港から海の向こうの徳島の防波堤で歩いている人が見えていました。
今はPM2.5ですか、白く煙っていますので幕がかかったように見えなくされています。

レコード盤のアナログ録音と、CDのデジタル録音との差が分かります。敏感な体質かもしれません。
一人目は、去年亡くなった谷口さんから何度も聞いていたことですが、2.000kw、5基の真正面、中地区の白倉池の近くの方でした。

谷口さんからは。「もう、おばあさんなんやけど、以前から風力発電が悪いと言って苦しんでいる」と伝えられてきました。
83才で亡くなるまで、5年半も低周波で苦しめられながら、周囲からの弾圧、人災もあったと思いますが、抗議の声を上げることもなく、谷口さんに細々と苦しさを伝えるだけでした。
(年齢に少しズレがあるかもしれません)

今年も、私は中地区で稲作を1haほどしていますが、白倉池の前では目まいのような気持ち悪さで、とても居られません。
風車病となった被害者が、よくもそんなところで苦しみながら生活できたものだと感心したものでした。
低周波測定機で測定すると、異常な被害成分の卓越があります。

人の耳には聞こえないだけで、微気圧計で測定すると、風力発電独特の分析グラフになります。有害な気圧変動が常時、繰り返されています。
二人目は、私の『風力発電の被害』P.37に書いた方です。

私は中地区で稲作をしていますので、彼とは毎年、共同作業で一緒に草刈りや溝掃除などをしていました。
平成24年当初は、「風力発電がうるさくて夜も寝られない」と周囲の方にも被害を訴えていました。

ところが、私が訪ねて行って、風力発電の停止のための要望書に協力してほしいというと、「周囲とのつながりがあるので協力はできない」と、取り付く島もない有様でした。

夫婦ともども、被害にあっていると聞いていたので、以前から多少の顔を知った仲でもあったので、けんもほろろの対応に驚いたものでした。
67歳で急性の疾患でした。(年齢に少しズレがあるかもしれません)

低周波被害に苦しむと、被害者独特の顔、表情になります。彼が協力を拒否する顔は、まさに被害者独特の顔だったと思います。
わずかの協力金、利権のおこぼれがあったことでしょう。

彼の自宅は畑地区で、2.000kw、5基、1.000kw、16基を見ることができます。たくさんの風車から複雑に重なった卓越した被害成分を観測することができます。
高い音圧を示しますが、大風の時のように自然な低周波ではなく、それぞれに尖った、被害成分の卓越した観測結果を見ることができます。

彼は社会とのつながりがあると何度も言っていました。谷口さんも同じような理由を挙げていました。
「畑地区の人たちはね、」と、まるで地域の人たちが被害を解決するために行動してくれるような、役場が何かしてくれるような、誰かが何か親切に助けてくれるような妄想を固く持っていました。

私に対しては、「あんたは門前地区でしょ。そちらで勝手にやったらよい。誰もあんたを信用しない」といったものでした。
役場、地域社会、野鳥の会や考える会などの環境保護運動家、などによる地域対策が徹底していました。

地域対策の目的は、この5年半の経過を見れば明らかです。被害者を弾圧して迫害して、人格を貶めて差別して黙らせてきました。
人災です。こんなバカバカしい差別運動を、地域社会は嬉々として演じてきたのです。

環境省の報告書にあるように、「風力発電の苦情者は精神疾患のものである」というプロパガンダでした。

全国の風力発電の被害地域では、同じような弾圧がおこなわれています。
「私たちは風力発電には反対ではありません」という倒錯した自称被害者もいて、それを利用した行政が問題を複雑にしてうやむやにしています。

地球温暖化といった環境運動に凝り固まった人がいます。
風力発電とCO2削減とは何の関係もないのに、なぜ、嘘八百を声高に叫ぶのか、恥を知れ。

風力発電事業は、ナチズムやマルキシズムと同じです。戦争で、天皇陛下万歳と言って死なねばならないのと同じです。

由良町役場では、副町長が交代になり、参事の宮下というものが副町長になりました。
ジャーナリストの山本節子さんが由良町役場の総務課に事情を聴きに行くといって、訪ねた時、宮下が応対しました。

なんとヤクザ言葉丸出しで、暴力団事務所かと見間違いするほどの剣幕で恐ろしい言葉と緊張した気配で怒鳴りつけられました。
太っ腹の山本節子女史も驚いて、言葉に詰まりながら、「馬鹿か、何を言ってるの」と反論するのがやっとのことでした。

私は、商売を間違えてるな、と感じたものでした。由良町では、どんどんと人口が減少しています。
役場の弊害も顕著になってきました。町民でも、役場を嫌う人がたくさんいて、その言葉をよく聞きます。

10人もいる町会議員は、私以外は、まったく役にも何にも立たないものでしかありませんでした。私を罵倒して弾圧することくらいです。

家伝に曰く、「由良を出る者、あるいは由良に帰る」と。いったん他に自由な世界を求めて、またほとぼりが冷めれば帰ってこようかと。