9月11日の産経新聞に載っていた記事です。

目が悪くて全盲の方が、白杖を持っていて、正面から歩いてきた人にぶつかったそうです。相手は転倒して、立ち上がると、背後から強く蹴られたといいます。
あるいは、全盲の方が連れていた盲導犬が、何者かに刺される事件がありました。
記事は、こう結んでいます。
「犯人は、いったい、どんな心のささくれた人なのか」
もはや、心そのものを失っている、人物の仕業としか思えない。
ハートレス、(人に冷酷な) と結論しています。
何気ない記事ですが、抵抗のできない人を襲う、そして知らん顔して立ち去る。この人の内心は、いったい何を考えているのか、と疑います。
役場などの公の行政では、このような破廉恥なことは論外でしょう。私は、そう信じています。
この町に住む人が、暮らしている人々が、豊かに、楽しく過ごせるように役場はあると思っています。そのための会議が、この議会であります。
道路が悪ければ直す。河川が壊れれば復旧する。最近は高齢化で福祉がどうしても話題になります。
こういった地域に密着した社会問題を、専門に処理する機関が役場です。
なぜ、風力発電の被害者だけは除外されて、無視されるんでしょうか。
大手メディア、新聞では、風力発電のことは、ほとんど報道されなくなりました。しかし、インターネットや市民運動系のニュースには、盛んに被害報告や反対運動が記載されています。
たぶん、大手メディアは、本来の役割を放棄して、社会や国家を裏切っているんだろうと私は考えます。
何度も同じことを言う、と、お叱りを受けますが、被害者は24時間、耐え難い苦痛を受けています。謂れのない被害に、どう表現してよいのか分からない頭痛や耳鳴りや、目まいなどに苦しんでいます。
結果として、体力を奪われ、耳に傷害を負い、生活の質を著しく低下させています。
里地区の南側の山々に、風力発電計画が持ち上がった時、地域住民が大きな声で反対したことを覚えているでしょう。大勢の人々が怒って、役場の会議室を途中から出て行きました。新聞に大きく出ていたので、皆さん知っているでしょう。
なぜ、里地区の人々が怒ったのか、理由は明らかです。
毎日、目の前で、畑地区の山々にある21基の風力発電が、どれほどの被害を及ぼしているか、嫌というほど知っているからです。
もちろん、役場職員の方々も、議員諸君も知っているはずです。
風力発電の被害で、苦しんでいる人がいることを知ってますよね。知らない人はいますか。
知らないはずがないんです。
私が毎回、一般質問を通じて、訴えているからではない。由良町の常識として、騒音、低周波音、苦しいという被害を訴える人々がいて、大問題だということを認識しているからです。
危機感を持って、警戒していた、ということです。
風力発電の建設により、被害が出ていること自体が事件だと私は考えています。が、これを意図的にごまかしていることも、実は驚くべき一つの事件だと考えています。
整理してみると、
① 風力発電を建設させた責任。
② 被害が出ているのに、さらに建設させた責任。
③ 救済を怠った責任。
④ 被害を隠蔽した責任。
まるで、水俣病の時と同じ構図が見て取れるではないですか。
目の前に被害者がいて苦しんでいる。周囲の人は、地域の誰もが、その原因を知っている。行政も知っている。しかし調査はしない。
皆さん、感覚がマヒしているのではないですか。
同じ町内に住んでいる人が、目の前で涙を流して苦しんでいる。
私は、この事態を放置しておくことはできません。許すことはできません。
強盗の開き直りではないんですよ。知らん顔はできません。
昔から、いかに多くの人間が、いかに簡単に凶悪、残忍な行動に加わるか。歴史には、多くの事例が示されています。
水俣病事件は、まさにそうでした。
同じ構図で、風力発電の低周波音により、多くの人が頭痛や目まいで苦しんでいます。
少数であるがゆえに、声に出して、言葉にして、率直に抗議することができません。
誰もが苦痛を感じるわけではない。たまたま、被害にあった少数の人だけが、いたたまれない苦しみに苦しんでいる。
その声に、耳を傾けて聞いてみませんか。
既に多くの被害者が、ヒステリックに人間不信になっているように感じます。
私たちは、弱者を見捨ててはならないんです。子供であろうが、年寄りであろうが、被害があれば、助けようではないですか。助けていただけませんか。