なぜ、日本だけ被害を訴えないのか。

由良町の周辺の人たちに風力発電の被害を聞いてきた。被害者は、既に対策されているから鼻から拒否される。私の事を知っているのだろうか。「あー、アンタか」と言われるからね。和歌山は平野部が少なくて、山々の谷間に人が暮らしている。田舎暮らしはのんびりしたものだけど、情報がない。テレビや新聞は風力被害は伝えない。昔から、山で隔てられているから、交流もないしな。

上流と下流では、住んでいる人の種類が違う。山奥の人は「下の人」と言って、下流を見下していたり。由良町のような4㎞ほどの小さな谷あいの町でも、それはもう大変な意識差を見る。ムーミン谷は大騒ぎ。結局、風力被害地として落着を見る。私一人が頑張ったようだ。全国的にも、風力発電の被害を訴える人はいなくなっていた。「風力発電反対」、「風力発電被害」と検索しても、私のページは消えている。

私の書いた『風力発電の被害』は【在庫なし】と書かれていたりな。汚い細工が仕掛けられている。環境運動家はその嫌がらせが嬉しくてしょうがない。もともとが風力被害とセットになって賑わってきた悪党連中よ。【お花畑】と言われるけど、仕組まれた罠であることは海外の風力反対と見比べれば分かることだ。日本人は英語を話さない。ましてドイツ語やフランス語なんて、単語一つも知らないだろう。

大学では第二外国語として、多少の言葉や文化を学んだとしても、日本に住んでいればそんなモノ、触れることもないわな。インターネットでは自動翻訳が流行っている。意味が通じない単語もあるけどな。小説でも、やはり英文で書かれた言葉は、英文でないと伝わらない感覚、感情がある。「protest wind farm」として検索すると出てくる記事は、自動翻訳するとヘンでしょ。まだまだよな。

しかしな、プラカードや人々の写真、動画を見ると、彼らが何を真剣に訴えているのかぐらいは分かるものだ。日本でやっている「山や川を守れ」なんてお花畑はない。h18年の東伊豆町の風力被害を見ながらも、日本では巧妙に被害者は消されていた。自称、考える会の闇を見ないか。野鳥の会でもいいけど、自然保護団体とやらのエセ、ペテンの環境運動の酷さは、同じ目的を共有する海外のそれらと比べたら、真逆になっている。

見事な地域対策の一環として、初めから組み込まれたスパイ工作活動になっている。風力の手先だよ。被害者の弾圧、否定だよ。なぜなんだろうかね。風力被害者が、そんなに憎いのか、と驚くしかない。良心はないのか、と思う。人々の憎しみ、嫌悪を煽るだけかい。更年期障害だとか、誤解・錯覚なんやで、とボロクソだよ。低周波被害者は孤独で孤立しているからね。面と向かってそんな罵りを受けたら参ってしまうわ。

思いやりとか優しさはないんかい。弾圧、虐待、あざ笑いだけがあった。見ていて可哀そうだった。人々は笑って喜んでいたけどな。これが日本人か、と私一人が抗議したもんだよ。村八分よな。それがどうした、と今もこうして人々の非情な言葉に立ち向かうのだ。ナニ、重症の被害者たちはすぐに死んでしまったし、生き残った人らもロボットになっている。受け売りの言葉だけで話す哀れな自動人形と化す。笑いものよ。

全国で同じパターンでしょ。由良町は地形的、社会的な閉鎖空間なので、少し過激な被害を演出したようだ。それでも各地の被害例を聞いてみると、無茶苦茶な弾圧を繰り返している。何も由良町だけの悲劇ではない。しかも人々はそれを見て知っているし、笑いものにして喜んでいる。人の不幸が面白いのだ。これが日本人か。これが日本社会か、と社会運動みたいに言葉にして訴えて来た。今では誰も相手になるものはない。

タダの変わり者だよ。もはや被害原因の低周波音を測定する人もいない。何が悪いのか。土砂崩れ、とか、川の水が、とか言っている。どうなっているんや。日本崩壊の現実を見ている。コイツラ人間やない、私はそう見ている。日本では、なんで外国でやっているようなヒューマニズム、人間尊重の精神が否定されるんだろうか。検証も批判もない。昔あった大本営発表という政府の宣伝だけ。

勝った、勝った、と言いながらすべて嘘やった。そのウソの本質を知っている人はいくらもいたのに、誰も言葉にすることはなかった。同じ風景やないか。今回は、情報がないのではない。PCで、Iphoneで検索したらすぐに分かることだ。何が正しいのか、何が悪いのか、そんなことぐらい常識的に判断できる。それでも日本人には風力被害の真実は受け入れられない。【土砂崩れが心配です】と繰り返すだけよ。

オウムやで。全体主義。転落していくしかないのか。高齢化社会だと言う。それより先に意識的に、精神の荒廃が凄まじい。風力発電の目的だ。地域社会の滅亡だね。季節の変わり目に、低周波音で耳鳴りと目まいに苦しんでいる。まだ私は生きている。苦しみ狂い、泣いて苦しみを訴えた被害者たちのようだ。一緒にしないでくれ。私だけは被害を声にして訴えている。