スローガンの正体

風力発電の推進で、たくさんのスローガンが繰り返されていることに気づかないか。戦争やな、と.言葉にする人がいる。ナチズムのように国家社会主義を丸出しにしてのプロパガンダ、キャンペーンだ。「明日では間に合わない」「再エネ100%」「自然エネルギー」、どれもこれも中身のない言葉の羅列だ。隷従。

ただ信じて従えばよい。初めから風力は電源として役に立たないことは分かっている。低周波被害のあることも分かっている。だからすべては秘密主義で、被害者の弾圧、地域対策が欠かせない。由良町では、あれから10年、いよいよ住民の意識は暗い怨嗟に包まれて「風力被害など聞いたこともない」と笑っている。

私に対する憎しみと嘲笑は、それらの人には必須の生活条件だ。変わり者よな、と。私は私で、「一緒にしないでくれ」と転落した人たちを眺めている。被害に苦しむ者も、被害感覚のない人も、同じように私を蔑んで笑っている。なんでそんなに嬉しそうに笑っているんだろう。

とても幸せそうな彼らを見るたびに、「心貧しきものは幸いなり」という新約聖書の一説を思い出す。あるいは悪人正機説の「善人なおもて往生する。いわんや悪人において」とかさ。先進被害地の伊豆や伊方と同じ被害が全国で展開されている。最初、あれだけ被害情報を発信した人たちは、今はもう跡形もない。

各地で蠢いている自称・風力反対運動は、被害否定のエセ運動会として機能している。すべて仕組まれた罠だ。私が海外の風力反対、抗議デモの様子を伝えても誰も見向きもしない。どうしたんだろうね。土砂災害が風力被害だと言って憚らない。風車病は認めないし冷酷に無視して冷笑する。優越感だ。

権力の末端に繋がることになって、何かしら自信のような信念を得て力を得ている。まるでアホな百姓でも、医者や教師でも、再エネの時代だと言うんだから驚きよな。被害の苦しみは聞いてはもらえないのだ。そしてイノベーションだ、画期的、革新的な技術開発が重要だ。と繰り返す。そんなものどこにあるんや。空想のプロジェクトだよ。

私は被害地の人々を見て、人は簡単に一線を越えてしまう。人が苦しみ死んでいく中で、それを笑いものにして手を叩いて喜ぶ姿を見てきた。社会の崩壊だ。由良町に投入された環境運動家だけでなく、対象となった地域の人々は完全に「風力のコマ」として罠にはめられていた。「風力はいったい誰がやっているんよ?」そんな疑問もはかなく消されていた。

「私たちはデモンストレーションの風力発電に殺されるんや」と言って死んでいった谷口さん。風力被害を言葉にするとどういう目に合うのかよく分かっただろう。すべては空想、想像の世界なのだよ。ウクライナで戦争が始まっている。ハイブリッド戦争で、人物破壊、社会の破壊が行われたと聞く。それは朝鮮、日本も同じことだ。台湾もそうだね。

「台湾 is 台湾」と若い人は叫ぶように自由な台湾を主張するけれど、北京と通じる人は多いだろう。人間って、ほんとにアホやね。日本と、海外の、風力反対の画像を添付した。こんなにも違うんやで。いったいどこが違うのか、日本にも分かる人がいたらいいのにな、と私は思っている。新しい人が、新しい扉を開けるしかない。

既成の、古い環境運動なんかゴミ箱へ捨てちゃいな。何が正しいことなのか、自分の頭で考えて判断しな。「考える会」に考えてもらうからおかしなことになっているんやで。それが目的の作戦なんだよ。窓を開けて、自然の風を感じて見な。こんなものが電源として機能するはずがないことぐらい、なんで分からんのかいな。

それほどにプロパガンダの洗脳はすさまじいのだ。と気付いてほしいものよ。「Stop wind turbines」、「protest wind farm」、「Kein windpark」と検索して海外の情報に触れて見な。他の言葉でもいいけどな。いかに日本人がアホにされているか分かると思うで。