日本人の芸術感覚

私は芸大へ行きたかった。それがなんで技大になったのかと、64才になって思い返す。親父から「看板書きになるんかい」と怒られたものよ。土木科を選んだときも、土方の勉強かい、と嫌味を言われた。具体的に何がよい、なんて目標はなかったのだ。

一髙を受験して全然だったので諦めて百姓になったと聞いている。三男坊だから本来は都会に出て新しく仕事を探すはずだったのだ。私は長男として生まれ育ったから、当然、親父とは感覚が違う。旧家だからなおさらだ。しかしもし親父が長男であったら、とうに我家は崩壊して跡形もなくなっていただろうとも言われている。

世間の感覚とはエラク、ズレていた部分があった。よく言えば理想家肌、ただの田舎者か。それで今日の産経記事を見ると、贔屓の引き倒しやな、と思うのだ。浮世絵なんかは江戸土産でしょ。消費してナンボのものだよ。それがたまたま海外に流出してデザイン性が持て囃された。それほど日本人の感覚が、田舎者の特異性を発揮していたのだ。

由良守應は幕末から明治にかけてあちこちで活躍したと聞いている。由良町や日高町の親しくしていた人たちが彼を頼って訪ねていったらしい。世話好きな彼はたくさんの土産を持たして和歌山に送り届けている。ところがよ、今、それらの家に聞いてみると、そんな土産なんかどこにも残っていないと言っている。つまり消費してしまっていたのだ。

我家にだって何もない。苔むした古い石の手水鉢が残っているくらいか。骨董品はすべて売り払っている。借金がないだけありがたい。最近、明治維新はテロリストたちの革命劇だという記事がある。そうじゃないだろう。江戸時代は泥沼になって、時代の要請に応えられなくなっていたのだ。だからあの時、急展開したんだと私は見ている。

浮世絵も時代のあだ花よ。出版者は何度も弾圧を受けているでしょ。お上はそれを許さなかった。蛮社の獄、安政の大獄と同じだ。守應も幽閉、追放と、よくも殺されなかったものよ。圧力を加えられた分、爆発するエネルギーをため込んだんだね。

今、各地の山々には風力発電が建設されて風車病に苦しむ被害者が多くいる。被害者は、どんなに弾圧されても一言も反抗できずにいる。私にはそれが悔しくてならない。なんで人々は権威とか権力にひれ伏して、まるで奴隷になって喜んでいるのかそれが理解できない。被害の基準は、被害者にあるんやで。

風力被害を訴える私を敵視して、行政や環境運動家の笑いものになって何が嬉しいものか。低周波被害者になると頭をやられるからだが、それにしても地域の人々が、そんな被害者をボロクソに虐待して笑う姿は異常ではないか。真実は一つだ、と言って死んでいった被害者がいた。人々はそれを見て手を叩いて笑って喜んだ。「ワシらは面白うてならんのや」と。

田舎者には田舎者の使命があるだろう。初めから結果の分かっている詐欺に、NOと言おうではないか。勇気でも何でもない。人としての当然の権利なんやで。