風力反対に、なぜ健康被害の言葉がないのか。

h20年の由良町などに配布される地元新聞には、風力反対の理由として「土砂災害」の言葉が書かれている。すでに伊豆や伊方で風力発電の低周波被害が明らかになっている中で、環境運動家たちはなぜ、風車病ではなく、土砂災害の危険性がある、と訴えたのか。

もしこの時、風力発電には低周波空気振動により「低周波病」、風車病という恐ろしい疾患が人々を襲う事件があることを伝えていれば、その後の由良町での悲惨な風力被害や弾圧は、もしかしたら回避できたかもしれない。新聞屋とは所詮、行政の手先でしかなかったことを証明した。

彼らに良心の痛みなどは見られない。もしかしたら今回の再エネ被害の中でも、プロパガンダ、被害の隠ぺいに関わったメディアは一番悪かったことになる。私も何度か、それぞれの新聞の記者たちに取材を受けたけれど、その悪さには驚いたものよ。添付の記事にも低周波被害、風車病の言葉はどこにもない。

漁場を守るんだ、みたいな情緒的な散文になっている。とうに周囲、近隣には風車病に苦しむ被害者がいて、おそらく由良町と同じ弾圧を受けて被害を否定されている。その上での建設反対だ、というのだから新しい形での被害者の弾圧になっていることが分かる。風力被害者なんか害虫だよ。環境省が言う、精神疾患のものだ。

その通りの物語にされているのだ。一度、ゆっくりとこの記事を読んでみるがよい。先日もこのページで、唐津市沖洋上風力の記事を紹介した。そこにもやはり健康被害の記述はない。なぜな? 被害を訴えるものが悪いんだよ。問題の大きさを間違えてはならない、ということだ。

つまり彼らは環境運動をしているのであって、地球温暖化だ、脱炭素だ、自然エネルギーだとか言っていればよい。あとは教祖様が導いてくださると信じている。まさにカルト宗教だよ。あの戦争の時と同じ思想の統制がある。前ページにも御用学者の巧みな原発論を指摘した。同じことなんやで。

つまりジャーナリストたちが言っていたように、「社会が破壊されるんやで」ということだ。各地の環境運動家、自然保護団体の転落ぶりよ。「土砂崩れが~」という声は全国共通の合言葉になっていた。「ドイツに習え、ドイツでは上手く行っている」というスローガンはまだあるのかな。ドイツでは原発を廃止するというで。

「考える会」という名の皮肉よ。日本人にはなんでPhilosophy、考えてみるという姿勢がないんだろうか。哲学と言っても、ニーチェやサルトルみたいなものにしてしまってさ。意味のない形而上に棚上げしてしまう。目の前にある悲惨な現実が見えなくされている。これが地球温暖化対策の目的であったと思わないか。

情報がない中で、巧みな宣伝に踊らされる。被害を訴えるものはスケープゴードにされる。笑いものだよ。いや、世界がそれを見て笑っている。日本人も少しは考えてみないか。騙される方が悪いのか。奴隷になって喜んでいる方が楽なのか。パズルを解こうではないか。人の尊厳を取り戻そうぜい。