さまざまな対策

去年の夏、6月から8月にかけて、毎日雨と曇りだった。私は米を作っているので、田んぼの水引が楽ちんだった。それでも再エネ賦課金と言って、電気代の14%が強制的に集金されている。今日の新聞では雪が降って、太陽光が不安定だと書く。懲りない、というより何かが間違っている。

「さまざまな対策が不可欠だ」、というんだから原因はあるんだろう。なくてもやっていける現実がある。いや、そんなゴミ電気なんかない方が良いだろう。費用対効果、を見れば明らかだ。環境運動家たちは、土砂崩れが~、と繰り返す。言葉のすり替えだよ。調整池を作れ、とかね。

問題の本質を逸れたところで責任逃れのキャンペーンを演じるのだ。許せないのは各地の自称、風力反対運動?だ。風力発電の被害とは土砂災害だ。というのだ。洪水対策をしろ、とかね。風車病に苦しむ被害者対策として、別の言葉で弾圧する。組織的に全国規模でやるから、都会の人には何のことやら分からない。

いや、風車を見て、視覚的に分かりやすいからいいじゃん、と笑っている。あの伊豆の風力被害を指して、土砂崩れの心配が薄れてボチボチと住民が戻ってきている、というのだ。こんな嘘が堂々と広められている。組織的な情報発信とはすごいものよ。つまり彼らは、いかに偽物の工作員であるかが、その言葉の数々で証明しているのだ。

このページでは、いつも海外の反対運動、抗議デモを紹介している。インターネットで検索すれば簡単に出てくる記事ばかりだ。だから日本に情報がないのではない。少なくとも私がセッセト風力発電の本当の被害、低周波音被害を詳しく論じて伝えてきた。被害者に対する弾圧の酷さも、これでもかと書いたつもりだ。

「ヒツジにされるんやで」最初にそう教えてくれた通りに、被害者たちは消されていった。社会は破壊されていた。今もこの記事を見て、いったい何が問題なのかを見ることはない。見事な倒錯がある。雪が悪いのだ、と。原発が必要だと。なんせ、あの時、東京から外人さんたちが逃げ出すのを、人々は笑っていたからね。

世界中の笑いものになっていたのに。私は原発事故の時、たまたまフィンランド政府の緊急通達を見た。東京は汚染されて住める状態ではなかった。東京を過ぎて静岡のお茶が全量廃棄処分になったでしょ。「日本政府は信用できない。日本にはもう来ない。」彼はそう言って帰っていった。ウソは止めようやないか。もうバレバレなんやで。