この本が意外に面白かった。

15代将軍の足利義昭は、信長に京を追われて由良町の興国寺で二年ほど暮らしたらしい。開山興国寺は源実朝の墓があって、以前は北条政子の荘園にされたこともあった。今も甍には笹竜胆の家紋が軒瓦で連なっている。足利の家紋は二匹両、やっぱり実朝の家紋の方が格上よな。

ちなみに我家の家紋は丸に蔦だ。どこかの花魁の家紋を真似たのに違いない。何げなく読み始めたら、新田義貞のことや「由良」のことまで詳しく書いてあった。あちこちにある我家の系図には、この新田の庄の「由良」から続いていると書くものもある。我家は南朝方で戦ったからね。

私は違うと思っている。平安時代、藤原時代には都落ちしてきて、由良の庄に移り住んでいる。時代が合わないのだ。真っ黒けな昔の仏さんの箱は、とうに曽祖父が田んぼで焚いてしまった。竹ひごなどで補強された巻物はボロボロになっていて読むこともできなかったと、当時子供だった親父が言っていた。

とまれ足利一門の没落よ。義昭も頑張ったのだ。そして徳川慶喜のことにまで書き及んでいる。最近、明治維新はテロリストたちの演出だ、みたいな宣伝が出回っている。たしかに一面ではそうだろうけれど、泥船と化した徳川幕府に、何の遠慮がいるものか。

義昭も慶喜も、頑張った割には自らの行動が、かえって幕府組織の解体を加速させた、というのだ。小説より奇なり。事実を積み上げて論じると、こうまでアカラサマになるものか。添付の記事には、道成寺に伝わる義昭の太刀が偽名だと書いてある。私は大阪の日刀保の鑑賞会に20年ほど通った。

柳生の里での江住有俊鍛刀場にもよく行った。その経験上、義昭の刀は実に名刀であった。道成寺に展示してあるから見に行ったらよい。将軍の名に負けぬ品格があると思うのだ。そこには偽名とか正真とか、世事を受け付けない事実だけがある。こんな田舎に置いておくのがもったいないほどのものだ。しかしこれが足利義昭の置き土産だったのだ。