反対する理由が分からない人たち。

新聞やテレビではグレタさんの人気は上々だ。「学校には行かない、気候のせいよ」とプラカードに書く。トランプやプーチンは、「ちゃんと学校に行った方がいいよ」とテレビで言っていたものよ。ところが日本ではどうだろう。輝けるスター、聖人の教祖に祭り上げられている。

日本の弱いところよな。日本人はすっかりこんな演出に夢中になっているのだ。冷静に考えてみれば極端なプロパガンダでしかないはずなのに、それが呪文のように思考に刷り込まれている。その結果が、各地にどれだけの災厄を振りまいているのか、被害に苦しむ人が泣き叫んでいるのか分からなくなっているのだ。

たまたまtwitterに風力関連の記事が出ていた。どこでも同じことだけれど、酷いパターンが繰り返されている。なんで風力発電に反対するのか、その意味が分からないのだ。健康被害があるから、生活や人生を破壊されるから反対するのに、その肝心の本質がスッポリと抜け落ちている。タブーになっているから言葉にできないんやね。

「被害者がいて苦しんでいる」、と言ってはならないのだ。原因は低周波空気振動、気圧変動だ、と言ってはならないのだ。つまりどいつもこいつも同じ穴の狢で、被害が分かっているからこそ、その本質を隠ぺいして、野次馬根性で遠くからヤジを飛ばしている。ご自分は安全な場所にいて、無責任な言葉を呟いている。

決して被害者は認めない。風力事業の一翼になっている。合意形成のプロセスなんか?チョット、ググッてみると分かるけど、海外の反対運動、抗議デモははっきりと「Stop wind turbines !」(風力発電を止めろ)と書いて抗議している。「風力発電はいらない」と厳しく訴えている。それが日本には一つもないのはなぜなんだろう。

風力に忖度だけか。違うだろう。環境運動に参加してます、みたいなもの。自然環境を守るとか、地球を救うとか。自然エネルギーだとか。やっぱり本音は風力に反対できないんやろ。反対する意味がないんやろう。な~んや、環境運動家の物まねか、と風力被害者は一人思うのだ。

各地では、山に風車、海にも風車、地域活性化、雇用が促進される、とか言って喜んでいる。被害者はコテンパンよ。被害感覚のない人でも、実はヘンになったり、病気になって死んでいるのに、それが分からなくされている。被害調査をしないからね。原発の放射能汚染と同じよ。分かっている人もいるからややこしいけどな。

グレタさんと同化している日本人を見るたびにアホらしく思うのだ。