外人さんに指摘されて

東京で開催された日本刀鑑賞会に行った時、アメリカ人など、外人さんがたくさんいたことに驚いたものだ。彼らに、日本の刀のことが分かるんだろうか、と不思議な光景に見えたものよ。関心のない人には難しい話だが、古い刀にはそれぞれ歴史が付いている。

身近な例だと、今でも山伏姿で修験道にいそしむ人がいて、小さな懐剣を持っている。古いものだと奈良時代のものもあるだろう。大和古剣と言って、元は戦闘の武器だったものもある。精神性の塊のようなものだ。記事にある後鳥羽上皇の刀は、北面の武士などと言って、軍団を組織するための道具だったんだろう。

それを貰ったばかりに散々な目に合った豪族がいたはずだ。我家はこの辺から歴史にかかわりを持って、由良を出たり帰ったりを繰り返したらしい。「由良を出ずるもの、あるいは返る」と高野山文書にも残されている。刀の鑑賞は、歴史が分からなければ、その意味が分からない。

そう思って以前、シンガポールの人と話していたら、意外に日本の歴史に詳しくて、そこらの日本人より歴史の綾を知っていることに笑ったものだった。日本刀に興味を持つ外人さんは、だから日本の歴史にも通じている。日本人を理解する手掛かりでもあるのだ。

しかし、当の日本人はそうではない。イギリス人に急かされてクラウドファンディングまで行っている。なんかヘン。同じことは先日のMINAMATA映画にも見られた。日本人の被害者に対する心無い考えはいかがなものか。国の権力による弾圧ほど酷いものはない。何が悪いのか気付いてください、というものだ。

残念ながら日本人には分からないのだ。Googleで、「風力発電反対」と検索すると、画像集の欄にたくさんの全国の風力反対運動の様子がアップされている。しかし何だかおかしい。海外の「Protest wind farm」の画像集と比べると全然違うのだ。

つまり、日本の反対運動は被害を訴えるのではなく、逆に地域対策として利用されてきたのだ。中には本当に反対したい人もいるだろう。それを封じ込めるためのトリックが、日本の環境運動会なのだ。すでに私のホームページなど、はるか後方になって消え去っている。一般の人の目に触れることもないだろう。

たくさんの、なんだか得体の知れない風力運動に置き換えられていた。「私たちは土砂崩れが心配だ」というのだ。すでにその地域にはたくさんの被害者がいて苦しんでいるというのに。これが日本の風力反対運動にすり替えられていた。水俣病などでも同じことだろう。だから今、MINAMATA映画となり、異質な価値観として世界に発信されたのだ。

「そっとしておいてほしい」被害者はそういう。管理する加害者たちに都合の良いように弾圧されているのだ。風力発電の低周波被害、風車病でも同じことよ。御用学者や環境運動家たちの得意げな被害否定の勉強会を見ただろう。Youtube動画にたくさんアップしているで。酷いものさ。主催者もな。

我家では古い刀は竹割の鉈に使っていた。由良守應の勤皇刀は伝わっていない。黒竹のステッキに仕込んだ、錆びた仕込み刀があった。研いで遊んでいたら二つに折れてしまったよ。