日本のインテリジェンス

アフガニスタンでの日本のうろたえ様は各国に伝わったと思う。それ以上に責められているのはアメリカUSAのバイデン政権だ。最近、アメリカ人と話したことはないが、リベラルを自慢する彼らは、どんな言い訳をしているんだろうか。日本は蚊帳の外であることは間違いないだろう。利用はするけど信頼関係は無い。

日本はただ縋り付いてご奉公するだけのことか。この記事でも米中関係の協力は堅固なものだと書く。田中角栄の時の日中友好でも、「あんたは道端の石ころだよ」と批判した安岡正篤がいた。田中真紀子は何度か反論したけれど、結局その通りになっていったではないか。今回のこともその通りに歴史は繰り返す、というのだ。

私もそう思っている。由良守應は幕末の動乱を経て、維新後は大蔵大祐として活躍する。岩倉具視の欧米視察では、各地で案内係をしたという。当時、清水御門前に陸奥宗光と同居していたという。彼は後年、外務卿として日本の舵取りに参加するから、ヨーロッパやアメリカの有様には通じていたことだろう。

5年ほど前、陸奥宗光の事績を本にまとめるとかで、編集者から電話があった。我家には何も残されていはいない。見事に何もないのだ。ただ、添付図のように、飯田町一丁目一番地に、4千坪の住宅地に住んでいた。現在の最高裁判所のあるところだ。和歌山の由良町の貧しい百姓の倅が、いくら払ったらこんな所に住めるのか。

カネを払ったら購入できるものではあるまい。つまりそれなりの秘密があったと思うのだ。明治5年にはアメリカからこの地に牧羊などを送ったという。なんとここで牛を飼い、牛乳を売って商売していたというのだ。旧士族の反乱、西南戦争が始まる以前の話だ。まだまだ物騒な過激な時代に、守應や宗光は何をしていたのか。

酒と芸者で遊んで暮らしていたのではあるまい。懸命に勉強して、インテリジェンスに走り回っていたと考えるのが妥当だろう。どちらも早々に政界を引退した。激務が祟ったらしい。それでも確実に日本は自力で発展することができた。幕末の志士の生き残りとしては成功の部類だろう。今はこんな人はいないんだろうね。