再エネ、とはこんなもの

前ページには汐見先生の活躍を書いた。風力発電の低周波被害を訴えると、被害者や、それを問題視する人がどんな目にあわされてきたのかも、すでに各地の関係者なら誰でも知っていることだろう。汐見先生らは第三者だから、被害地域から追い出されると、ハイそれまで、と終ってしまう。あとに残された風力被害者の運命だよ。

それこそ幾重にも取り囲まれて袋叩きにされて消されてきた。大体、自称、被害者と言う人が汐見先生らを拒否して、行政の仲間に入ってしまっていたからね。アホな被害者たちよ、と私も残念でならなかったよ。あの畑地区でも、「私たちは畑地区の人たちと一緒に頑張っていく。由良さんは門前地区で一人でやればよい」と嘲笑われたものさ。

自称、被害者たちからどれほど厳しい言葉を投げつけられたものか。汐見先生の本にも低周波被害者から怒鳴られて怖かったと書いている。低周波被害者の会の窪田さんと話していても、被害者と言う人は変な人ばかりだったと話したことがある。まるで環境省の報告書にあるように「被害を訴えるものは精神疾患のもの」そのものではないか、と思うのだ。

いや違う。汐見先生もニーナビアポントも、精神疾患と低周波被害は相関がない、と断言している。誰が被害にあうのか分からないのだ。そのうえで、低周波被害を受けるとヒステリックになり、その人の生活が破壊されていく、性格が変わっていく、などの特異な症状があることに触れている。日本では組織的な被害者への弾圧、人物破壊があるからなおさらだ。

そんな中で被害者に向き合った汐見先生や窪田さんがいた。なんで誰も評価しないんだろう。彼らには後光が射しているじゃないか。今、私に対する非難轟々は、だから汐見先生らの路線から外れてはいないという証明書のようなものだ。周りは敵ばかりではないか。誰とも仲良くできないのか。などと言われると、アレアレ、と残念に思うのだ。

社会的に被害者を無視して消し去ってしまう。そのことにどんな正義があるものか。それで汐見先生はあれだけの本を書いて、各地で公演して、低周波被害の恐ろしさを訴えたのだ。被害者個人の悲しみに寄り添ったと言ってよい。添付記事は山田征さんの文だ。市民運動家だから私のような被害の苦しさを訴える切実さはない。

山田さんの勉強会の記事を拾い読みしていくと、各地の環境運動家は喜んで、「山田先生ありがとうございます。これからも地産地消の再エネを推進していきます」なんてヘンテコなブログが溢れている。自然エネルギーが素晴らしいと思い込んでいるのだ。この添付記事を読んでも、まず正反対な考えしか彼らには思い浮かばないんだろう。

石油や原発を嫌い、自然との共生を目指す、その言葉はよい。その言葉の原理に、反対のものが生まれて、広大な自然環境の破壊が行われているのに、人は、そのことに気づくことができない。「野鳥の会」などの自然保護団体が、いつの間にかアセスメントの利権に酔いしれて、林立する風車軍が野鳥の遊び場を提供していると豪語する。

海外の野鳥の会の抗議と、なんという違いかと驚くのだ。真逆の環境運動になっていることに、誰も気が付かないことになっている。しょせん日本の環境運動とは、この程度のアホなものだったのだ。今も全国の環境運動家が、風力発電に反対とか言いながら「土砂崩れが心配だから反対です」と繰り返している。

被害者をあざ笑うその言葉に、彼らはうれしくてならないのだ。だから私は各地のエセ風力反対運動を見るたびに、ウソつけ、と腹が立つのだ。風車病を否定して、被害者を排除する、地域のこんな仕組みに、誰も気が付かないはずはない。鴨葱にされて、さらに喜ぶ彼らの姿に、結局は金儲けのダシにされているだけの惨めな偽物の残り滓を見る。

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