根拠のない楽観主義

私が子供のころ、昭和30年代は、まだまだ戦争の傷跡を引きずっていた。生々しい犠牲者の言葉が飛び交っていた。先に言っとくが、この記事を見て私は「アホか」と思っている。軍事的徳など何をいまさらと思うのだ。私の祖母、曾祖母は楠木正成の子孫と聞いている。

祖母の弟が言うには、「あんな戦争で死ねるかよ」と吐き捨てていた。子供の時には分からなかったけれど、今思い返してみると、彼の考えが染みるようにわかるのだ。彼らとは600年前の南北朝の動乱以来の付き合いだという。情報だけでなく、何が真実かを見る目が遺伝しているんだろう。

記事では無茶苦茶な日本の戦争を論じながら、今のコロナ騒ぎを案じている。少しのズレがあるな、と私は見ている。私の嘆きは、それよりも地球温暖化防止、脱炭素社会をスローガンにした政治、行政のアホらしさだ。由良町での風力被害者の悲惨な末路はこれまで紹介してきたとおりだ。

今も各地で同じ被害状況にある。細かい法律を作り、巨額の資金が集金されて消えていく。その分、エネルギーの消費量は削減されたのか? そんなことないのは誰の目にも明らかだろう。あるはずのない幻想に酔わされているだけなのだ。まさに根拠のない楽観主義よな。

そのために被害地域では、風車病に苦しむ人が非常な弾圧を受けて消されている。人々は風力発電の低周波被害者を笑いものにして、ある時は嫌悪の的にして迫害している。涙を流して被害を訴えた被害者がいる。そして彼らは死んでいった。それを環境運動家たち、議員、役場の人々は手を叩いて喜んだのだ。

それもこの記事を読んでみると。この事態は何も今に始まったことではなく、あの戦争の時も全く同じ失態を繰り返していたことが記録されている。各地の自称、風力反対運動はすべてが偽物だ。すでに風車病に苦しむ人たちがいるのに「土砂崩れが心配だ」と繰り返して憚らない。

つまり集団で風車病の否定、被害者の弾圧を行っているのだ。それでも識者たちは、風力発電に反対するんだから理由は何でもよいではないかと言っている。バカ言え。それじゃ、今、風車病で苦しんでいる人は救われないじゃないか。海外では、どの風力反対でも「Stop windturbines!」(風力発電を止めろ)と言っている。

日本だけが、その言葉がない。つまり故意に、わざと心理コントロールしているのだ。「止められないんだよ」そう言ってあざ笑う人たちがいる。なぜな?日本の気候では、風力発電は実際の発電には役に立たない。風が吹いていないのだ。各地の風力発電を見てわかるように、風もないのに風車が揃って回っている。

長崎のハウステンボスの風車と同じで、電気仕掛けで回している。この事実を周囲に伝えても、誰も聞く耳持たないのだ。特に由良町では。洗脳されるとはこういうことなんや、と私も恐れ入っている。低周波被害に苦しむ被害者でさえ、私を見れば顔色を変えて走って逃げていく。

低周波被害は頭をやられるからね。私の祖母は国防婦人会の会長さんだった。軍港、由良港で活躍したから、見たくないものまでどっさり見たはずだ。先日、子供のころに火葬場に行くと、白い丸い頭の骨がたくさんあったという話を近所の年寄りとした。それはあの兵隊さんたちのものやろう、大勢焼いたからな、ということだった。

こんな和歌山の田舎町にも、死屍累々のグラマンの犠牲者が野焼きされたのだ。国のやることは正しいのか。そうではないだろう。何が悪くて、何が正しいのか、常に判断していくことこそが政治、行政の在り方だろう。倫理観、道徳のない事業ほど悪いものはない。被害者がいて苦しんでいる。

そして死んでいく。そのことだけでも、すでに風力発電はダメなのだ。それを笑いものにするに至っては、社会が、個人が壊されている。常識を取り戻そうぜい。新しい時代を作ろうではないか。秘密主義の風力発電なんか、しょせん作り話でしかない。妄想は、いつかは冷める。