大河ドラマ「青天を衝け」のために

Twitter記事に紹介があったので読んでみた。徳川慶喜公のことはドラマになっていたけれど、どうも違うなぁ、と感じていたものよ。これは本人の書いたものだから100%ではないものの、大金をかけてまで残してくれたんだから、それなりに意味はあるんだろう。ふと気になったので、由良守應の年齢と比較した。

渋沢(1840~1931)、守應(1827~1894)、江戸、東京で顔ぐらい知っているだろう。どちらも剣術ができたようだから、ふっと見ただけで、相手のことが分かる。とにかく維新という時代を生き抜いた。たまたま室町幕府の15代将軍、足利義昭が由良町の興国寺で1年余りを過ごした。

その昔、北条政子の荘園で、実朝の遺髪を埋めたという墓がある。笹竜胆をあしらう源氏の禅寺だ。義昭は源氏だからね。置き土産に見事な太刀を残している。道成寺に展示しているので見てみるがよい。幕府を仕舞う、というのも大変なことだったのだ。我が家にも徳川に出仕したものがいる。

「徳川の小使いになりおって」それが我が家の価値観だった。家柄意識も大変でしょ。学生時代に司馬遷の「史記」を1年間受講した。偉い先生だったらしく今でもよく覚えている。「昔夢会筆記」は、たぶんその延長線上にある。貴重な体験をした。