ドイツに倣え、という日本のバカらしさ

前ページの『メルケルの仮面』でも紹介したことです。由良町にはいろんな環境運動家が来て、「ドイツでは上手くいっている。日本ではなぜ風車に反対する人がいるのかそれを考えましょう」と、まるで笑い話のような工作員が私に話したことでした。野鳥の会であったり、考える会であったり、被害者を黙らせるために、こんな手間暇をかけるんや、と感心したものでした。

そして実際に風力被害者は消されていった。重症の人はすぐに亡くなったし、人は虐待されると人間性を失っていく。言われるままに、徐々にヒツジにされて消えていた。環境運動家たちの喜んだことよ。地域の人たちも大喜びだった。『風力発電の被害』に書いたとおりだ。ドイツには周囲にエネルギーを融通してくれる国々がある。

原発であったり、石炭火力であったりと、現実は日本で吹聴されるメルヘンな話とはずいぶんと違う。そんなものすべてを無視して再エネ100%は可能だという日本のあほらしさよ。あの戦争の時と同じやね。大本営発表という。ちなみに私は、日本には原発の管理は無理だと思っている。福島原発の事故で、それは明らかになったと思う。政治も行政も、あのとおり対応できなかった。

今も被爆に苦しむ人がいる。それを「被害はない」と言って、一切の被害を認めない風土に、こりゃダメだ、と思うのだ。それは風力発電の低周波被害でも同じだ。被害者に対する弾圧のすさまじさよ。とてもじゃないが文明国のやることではない。私は風力被害者だから、苦し紛れにこんな情報を発信している。しかし誰も聞いてくれる人はいない。

最初に私に被害を訴えに来た谷口さんのことも、もう誰も思い出すことはない。それは伊豆や伊方、各地の風力被害地でも同じ有様になっている。マニュアル通りだ。これを地域活性化、いつまでも住みたい町作り、というんだから恐れ入る。風車を止めてくれ。低周波で耳鳴りがして目まいがして苦しいのだ。